コロナ、アップデート  ジェームス・ログスキーによるレポート

単なる茶番劇という言葉では済まされない、この約3年にも及んだコロナ騒動の後、先日、アメリカ疾病予防管理センター(CDC)は、遂に大々的な方針の転換を発表した。

以下、ジェームス・ログスキー氏によるレポートをお伝えしたいと思う。

Divine Light

 

アメリカの活動家 ジェームス・ログスキー氏

 

まず、NPR(アメリカ合衆国非営利団体公共放送用番組の作成・配布を行なっている。)が要約した内容を読んでみましょう。

8月11日に発表された、CDCによる新しいCOVID19ガイダンスは、個人個人による意思決定に焦点を当てています。

 

CDCガイダンスの要点

・ウイルスにさらされた人を、もはや隔離する必要はありません。

・ワクチンを受けていない人も、ワクチンを受けた人と同様のガイダンスを受けられるようになりました。

・ウイルスにさらされた後も、学生は授業に出ることが出来ます。また、症状のない人を検診することは、もはや推奨されていません。

 

 

ここでもう一度整理しておきましょう。これまで私たちは、そもそも以下の真実を自明である、と考えてきました。

 

1) 誰もが、自分自身の健康に関する決定を自分自身で下すことができる、という不可侵の権利を持っています。

2) SARS-COV-2 と名付けられたウイルスは、今もって適切に分離されたことがありません。そのような証拠を求める何百もの情報公開法の要求が提出されてきたにもかかわらず、その存在を示す実際の証拠を提供した人は未だ誰もいないのです。

3 )SARS-CoV-2 が、COVID-19 として知られるようになった一連の症状の唯一の原因である、という事実について適切に示されていません。誤診が蔓延しているのです。

4) COVID-19 の「ワクチン」の設計に使用された遺伝子配列は、自然界ではなく「インシリコ」(コンピューター内) で作成されました。新型コロナウイルスのワクチンにより体内で生成されるとされる「スパイクタンパク質」は、自然界には存在しない人工の生物兵器なのです。

5 )「無症候性症例」を特定するためのRT-PCR「検査」は、完全なる詐欺なのです。

6) 伝染病、パンデミック、緊急事態は、「無症候性の症例」を判断すると言われている操作された検査に基づいてはならないのです。

7)「流行の曲線を平らにするのに 2 週間」という政策は、明らかに失敗した嘘でした。

8) ロックダウン、夜間外出禁止令、旅行制限、ソーシャル・ディスタンスの確保、マスク着用の義務化は惨憺たる失敗策に終わり、それによって呼吸器病原体の拡散を減らすなどという事実は示されませんでした。

9 )人工呼吸器の使用とそれと共に使用された薬物は、患者の命を救ったのではなく、命を縮める結果となりました。

10) 多くの方が亡くなりましたが、彼らの死の背後にある理由は非常に不明確であり、かつ多面的です。

11) マスク着用は、病原体の拡散を阻止できません。実際には、マスク着用により呼吸器疾患を悪化させる可能性があるのです。

12) 抗ウィルス薬「レムデシビル」は、益よりも害をもたらしました。

13) COVID-19 の「ワクチン」は急いで市場に出されましたが、「安全」で「効果的」であることが示されたことはありませんでした。

14) 「COVID-19」の診断を奨励するために、病院へ 20% のボーナスを支払っていた政策は間違いであり、それにより脆弱な治療と腐敗を助長させる結果となりました。

15) COVID-19のワクチンにより、多くの方が亡くなっています。

16) COVID-19 のワクチンによって、多くの方が永久的な障害を負ってしまいました。

17 )COVID-19のワクチンにより、多くの方が免疫、心血管、神経系、腎臓、肝臓、その他の全身的損傷を受けています。 損傷はリアルであり、決してそれは稀なケースではないのです。

18) 世界中の賢明で勇敢な医師らによる、知的な早期治療に使用された必須医薬品や天然物質は、公式の実施要綱よりもはるかに多くの患者の入院を防ぎ、生命を救うことに成功しました。

19)真実を明らかにしようとしている人々を検閲することは間違った行為であり、科学的方法に対する侵害であり、言論の自由報道の自由に対する私たちの不可侵の権利にも違反しているのです。

20) 「非常事態宣言」は、個人の不可侵の権利を踏みにじる権限を誰にも与えるものではありません。

 

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FBIによる『マー・ア・ラーゴ』急襲。一体何が起こっていたのか。 ジョーダン・セイザー

 

ジョーダン・セイザー氏


8月15日ニュースレターより

FBIは、これまでも決して素晴らしい評判を得てきたわけではなかったが、それでも組織内には愛国心を持って働いている善良な男女は存在している。が、明らかに、しかもかなり長期にわたって、この組織の上層部はディープ・ステートのコントロールの下、危険にさらされてきた。ここ数年、いや特にここ数週間の FBI の行動は、この事実を明確に示していると言える。 ますますこの組織は悪化の一途を辿っているのだ。 

米国における公民権と政治組織を対象とした 1960 年代の ※1『COINTELPRO 』プログラムは、 FBI の評判をまず最初に汚したと言ってよいであろう。 このプログラムは 、1971 年まで公に知らされることはなかった。政府は 、1971 年にこのプログラムを終了させた、と言っているのだが、アメリカ市民に対する国内スパイ活動や真実・自由運動への浸透は疑いなく今日まで続いている。

詳細は不明なのだが、FBI の別の国内スパイ プログラムが明らかになったことで、彼らの侵入活動が今日まで続いていることは間違いないとみて良い。 このプログラムは 『PATCON 』と呼ばれているものだが、これは、『右翼過激派』と呼ばれる愛国者グループを追跡するためにFBI が 1991 年に立ち上げたものとされている。 『 PATCON』 の詳細については、2007 年に著者 J.M. バーガー氏によって FOIA (米国情報公開法)要求が提出されるまで公にされることはなかった。バーガー氏は、インターネット上で『 PATCON』 の詳細な記事を書いており、エポックタイムズ は 『PATCON』 について記事を掲載した数少ないメディア の 1 つである。  60 年代の『 COINTELPRO』、そしてこの90 年代の『 PATCON』。それを踏まえれば今日どのような秘密のプログラムが実施されているのか想像するのは容易である。

次に、銃乱射事件についてなのだが、過去数十年間に米国で発生した銃乱射事件のうち、どれだけ多くの事件にFBI 臭さが漂っているか、ということについては今更あまり説明する必要もないだろう。 つまり多くの場合、FBIは銃撃事件が起こる前に銃撃者についての情報をすでに持っている、というわけなのだ。 

最近の出来事に目を向けるならば、2016 年と 2020 年のトランプ大統領の 2 回の選挙を通じ、FBI による汚職は大きな注目を集めてきた。 2016 年、トランプ氏が選挙に勝利し大統領にとどまることを阻止するため、クリントンを中心とするカバルによってFBIが武器化された事実は今では周知の事実である 。FBI が 2021 年 1 月 6 日、あの群集の中に情報提供者等を持っていたことに疑いの余地は無いのだ。そしてこの話は今日まで語り続けられている。

ここ数週間、FBI は 『マー・ア・ラーゴ』を急襲することで、トランプ大統領アメリカ国民に対し、過剰なる標的を設定してきているのだ。 内戦や暴動を扇動しようとしている犯人は、実は彼等自身であることは明白である。

トランプのフロリダの邸宅『マー・ア・ラーゴ』を襲撃するための彼らの口実は、『核に関する文書 のため』ということであった。 しかし彼等はトランプの金庫や夫人のメラニアのパジャマの引き出しの中から何も見つけることはできなかった。何とか面子を保つために苦し紛れの口実を述べたにすぎなかった。 しかしだ。例えその容疑が本当であったとしても、核のコードがジョー・バイデンの古く老朽化した手中にあるよりも、『マー・ア・ラーゴ』のトランプの手にあるほうが安全だ、と私は感じるのだが。

このFBIによる襲撃の翌日、自称トランプの支持者だと名乗るリッキー・シファーなるものがオハイオ州シンシナティの FBI ビルを小火器を手に襲撃し、これを『マー・ア・ラーゴ』襲撃に対する報復だとしたことが伝えられた。 この男の周りにはFBIのハンドラーが確実に存在している、と私は確信している。  彼らは、心理作戦キャンペーンでこのようなパッツィ(オズワルドのような)をいつも使用するからだ。

リッキー・シファーは、事件直前に※2『Truth Social』に暴力的なレトリックを投稿し、『FBIをすぐに殺せ!』等と発言していた。私が推測するまでもなく、これはMAGA(トランプキャンペーンのMake America Great Againこと)の印象を悪くし、『Truth Social』をネットから追い出そうと設計した極めて古典的な工作なのだ。『  マー・ア・ラーゴ』襲撃と FBI ビルへの攻撃のわずか 1 週間前の 8 月 1 日に、彼が『 Truth Social 』アカウントを開始したばかりであったという事実に注意してほしい。 

ここ数日間で、アリゾナ州フェニックスにおいて『武装したトランプ支持者』という事件も発生していた。 同様の詳細、つまりFBIの建物の外で抗議する『武装したトランプ支持者』という内容である。なんというお粗末な心理作戦なのだろうか。 38度のアリゾナの猛暑の中、全員がマスクを着用していたのには苦笑するのみだ。 何故顔を隠す必要などあるのか?と言いたい。

そして、おそらくこの一連の動きの中で最も明らかなデタラメな部分は、FBI と国土安全保障省が昨日、FBI 本部に放射性の爆弾を仕掛けたという脅迫電話を受け取ったとし、また『 マー・ア・ラーゴ 』家宅捜査の後、全米で『内戦』を求める声が相次いでいる、等と主張する内容の速報を発表したことである。

求める声が相次ぐなどと言っているがそれは一体誰によってなのだろうか? 彼ら自身の情報提供者によってではないのか? この国でなんらかの市民レベルの緊張が発生したとしたら、それはFBIによって助長されたのだと断言することが出来る。

現時点では、FBI をトップダウンで、特に上層部を完全に見直す必要があると言っても過言ではない。 腐敗したすべての FBI 捜査官を根絶し、闇の計画のために FBI に挿入されたすべての CIA、CCP(中国共産党)、およびモサドの根っこを根絶する必要がある。 実際、FBI を完全に解体させ、捜査活動を保安官、警察、連邦保安官、国防情報局等に任せることは可能なのだろうか? それについての答えを私はもっていないが、この国に変化が必要であることは明らかである。さもなければ、『ニューワールドオーダー』の取り巻きたちは、腐敗の触手を社会に深く浸透させ、連邦捜査局(FBI)を使って正直で罪のないアメリカ国民に嫌がらせを続けるだけであろうから。

 

※1COINTELPRO(「CounterIntelligence Program防諜プログラム」の略)とは、1956年から1971年の間、FBIによって実施された一連の秘密プロジェクトのことを指す。このプロジェクトは、アメリカ国内の政治組織を監視し、その組織に潜入し、組織の信用を失墜・混乱させることを目的としていた。 これは、諜報機関や政権が反対派を沈黙させ鎮圧するために使用される、非常に古典的な戦術である。 

※2Truth Socialとは、政治的イデオロギーによって差別されることのない、オープンで自由で正直なグローバルな会話を促進する、アメリカの「ビッグテント」ソーシャルメディアプラットフォームである。

 

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未来のマインド・コントロール・テクノロジーについて   ブライス・テイラーさんによる告発 2-5

 

ブライス・テイラー著『Thanks for Memories』

[30章より抜粋]

※ガーニーに寝かせられ薬物を注射される、ということを私は何度も経験させられた。そうしておいて私がまだその薬物の影響下にある間に、ドクターたちが私にいろいろと話しをするのだった。UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)には、マインド・コントロールについてのすべてを理解し、この未来のテクノロジーについて十分な訓練を受けているドクターたちがたくさんいた。彼らは、『人類に知られている唯一の方法を使った世界平和への取り組みに参加するため』に、知的能力が備わっている者たちとして特別に選ばれたのだ、と言われていた。彼らは、マインド・コントロール下でプログラムしたり操作する、その最新の方法について訓練を受けていた。これには、様々な場所において様々な時期に様々な医師らが関与していた。彼らが学習し理解できるように、そして経済的利益を得られるように、何年にもわたって『実証およびモデル化』のために私が使われていた。この極秘事項であるマインド・コントロールに関する情報を受け取るよう選抜された医師や科学者、行刑官、そしてその他の専門家らのためのデモンストレーションが行われたわけなのだ。

レーガンは、州知事に就任した頃からこのプログラムに協力的であったため、この取り組みに何年もの間関わっていた。その後大統領になってからは、『ニュー・ワールド・オーダー』計画が実行に近づくにつれ、このデモンストレーションの証人となっていった人々の数は増加していった。マインド・コントロール・テクノロジーを確かめるために連れてこられた人々は、もうそれを知らなかった自分に戻ることはできなかった。彼らは、計画を実行するために専門家の団体を必要としていたのだが、レーガンやブッシュが大統領に就任し最大限に協力した結果、関係者の数は80年代に劇的に増加していった。

これはレーガン政権の時だったのだが、UCLAのドクターたちは他のドクターたちの前でマインド・コントロール下の私がどのように動くかを説明するためテストとデモンストレーションを行った。彼らはこれを、マインドまたは脳の『研究』と呼んでいた。マインド・コントロールとは呼ばず、代わりにキャッチーな名前、『行動変容』と名付けていた。彼等は、円形のアリーナを使い、私は裸のままテーブルに横になったり椅子に座ったりして、彼らの合図に人形のように反応していった。これらのデモンストレーションには、テレキネシス(念力)だけでなく、単純なマインド・コントロール・テクニックも含まれていた。ある時、ドクターは私のマインドのパワーを使って部屋の向こう側にあるスプーンを曲げるよう私に指示を与えた。マインドの中でスプーンが曲がるのを見るように、そしてその考えだけに集中するように、私のマインドに浮かんだ言葉を聞くように、と私に指示を与えた。 するとその部屋の向こう側にあるスプーンは曲がり、スプーンはたまにテーブルから動いたり落下したりした。またある時は、手のひらに鍵を乗せたまま手を差しだしマインドでその鍵を曲げるようにプログラムされたこともあった。手のひらや指を動かさずマインドは完全に鍵に集中していた。そしてその間に鍵は完全に丸く曲がったのだった。ほとんどの人々は、集中したマインドが持てる本当のパワーについて何の知識ももっていないのだ。この実験を見ていたドクターたちは、驚きと恐怖ではっと息をのんでいた。またある時は、マインドを使って部屋の向こう側に火を起こすよう私をプログラムしたこともあった。

マインドのパワーや、マインドと身体のつながり、あるいは脳の研究をさらに研究したいというドクターたちには多額の助成金が与えれていった。そのようなデモンストレーションが行われている中で、ある時プレゼンテーションを行っていたドクターが『火傷を負わない』という催眠の暗示を私に与えた。そして彼は、火のついたマッチを私の腕に当てた。すると彼が暗示にかけたように、私の腕は火傷を負わなかった。あるドクターは、デモンストレーションの後、私の腕を詳しく調べ実際に私が火傷していないかどうかを確認した。火傷のない私の腕をよく確認した後、彼の目には涙が溢れていた。そして彼は、カトリックのやり方で自身に十字を切り『私たちをお許しください』と言ってその場を立ち去った。

何年にもわたってデモンストレーションが行われたが、殆どの科学者や医師は、このような同情的で思いやりのある人間らしい反応をすることはなかった。彼等の多くは、マインド・コントロールがどの程度実験されたり使用されたりしているのかを知らされておらず、マインド・コントロールがどのように完成されていくのかを正確には知らなかったと思う。しかし、私のコントローラーたちはこれらのテクノロジーを熟知しており、影響を及ぼしたいと思っている人々に私を『超自然的』に出現させるためにこのテクノロジーを利用していた。彼らは、これらの『出現』を事前にプログラムし、外部の干渉なしに一見自然に発生したかのように見せることができたのだ。これは、バチカンにおいて教皇カトリック指導者らに対し、いわゆる『奇跡』にみせかけるやり方だった。彼らは、私の手のひらをキリストのように出血させたり、教皇や司教たちにメッセージを伝えるために格調高いラテン語を話させたりして、彼らをひざまずかせたり、ロザリオやネックレスや私の足にキスさせたりしてしまうような『奇跡』を事前にプログラムした。実のところ私はラテン語を理解していなかったので、彼らが私に何を言っているのかわからなかった。彼らは、他の多くの人々と同様に、彼らにもたらされたこれらの『奇跡』に無防備であった。私が神のメッセージや天使のメッセージを伝えるオラクルだと信じたのだった。私はレーガンにも、宗教的なメッセージを届けたことがあった。しかしそれは宗教的な人々にしか効果がなかった。

私は、このテクノロジーのためにUCLAとポイントムグ海軍基地の間を頻繁に行き来させられた。ポイントムグにはたくさんのオーディオ機器やイルカの泳ぐタンク、プールがあり、UCLAには脳検査機器やMRIバーチャルリアリティ機器があった。

※ガー二―とは患者搬送用の台車つき担架

 

カリフォルニア州にあるポイントムグ海軍基地

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マイケル・ジャクソン            ブライス・テイラーさんによる告発 2-4

 

ブライス・テイラー著『Thanks for Memories』

[21章より抜粋]

ある時ボブ・ホープは、将来有望なタレントをテレビ番組が撮影をしている現場に私を連れて行った。マイケル・ジャクソンは、その頃まだ4歳か5歳の小さな男の子だった。ボブは、ジャクソンを支援しプロになる第一歩のところまで彼等を引き上げたのはこの自分だ、と私に話した。ジャクソンの父親が彼等を連れてきたのだが、明るいライトが点いている横側の部屋に彼らが連れて行かれるのを見たことを私は憶えている。彼らは全員ズボンを脱がされ、歌と踊りのパフォーマンスをする前に大きな男が彼らの一人一人を一列に並べレイプした。それから彼らは別の部屋に連れて行かれ、スーツを着せられたあとパフォーマンスするためにステージに送られた。マインド・コントロールの影響で、その時私たちがどこにいたのか正確には判らないのだが、それは初期の頃の『エド・サリバン・ショー』だったのではないかと思う。将来大勢の聴衆に影響を与えるのに利用できるよう意図的にセンセーションが巻き起こされ、彼等は有名になっていった。ボブたちは、必要なのは才能とメイキャップ、衣装、照明、きらびやかさ、そしてたくさんの宣伝だけだ、ということを知っていた。

ボブは私に、公のイメージを持っている人間にとって服がどれほど重要な意味を持つか説明した。

ボブは、しばしば新しいエンターテイメントと繋がっていた。評議会は、このボブの持っている繋がりを、彼ら自身の利益のために利用した。将来利用出来るよう、キーとなるエンターテイナーを配置していったのだ。多くは、私のようなロボットだった。私は、彼らの多くが痛めつけられるのを見たことがある。しかし、ボブが痛めつけられるところを見たことはなかった。ジャクソンは痛めつけられていた。 彼らへの虐待を、私は目撃していた。ジャクソンが初めて演奏したとき、彼らにショーをするよう手引きしたあと、ボブと私はその場を去ってリムジンへ乗り込み、車の中のテレビから彼等のパフォーマンスを鑑賞した。ボブは運転手に、ショーが終わるまでその辺をドライブし続けるよう言いつけた。それからボブは私に、『スターになることがどれほど簡単なことかわかったか?』と言って笑うのだった。

マイケル・ジャクソンの魂の本質の一部である本質的に備わっている愛は、世界の人々にはっきりと見えるように表れている、ということに、きっと殆どの人々が同意してくれるはずだ。彼が歌っている曲のいくつかは、マインド・コントロールのプログラミングのテーマに使われていたのにもかかわらず、回復していく過程でしばしば彼が歌った歌詞に私は助けられた。私が本当に孤独を感じていた時、マイケルの歌の歌詞は『一人なんかじゃない』ということを私に思い出させてくれたのだ。

 マイケルへ。私はあなたにも手を差し伸べ、あなたも一人ではない、と言いたいと思う。そして、この狂気から抜け出す方法はあるのだ、と。

 

ボブ・ホープとジャクソン5

(2-5へ続く)

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フランク・シナトラ、そしてエルヴィス・プレスリー    ブライス・テイラーさんによる告発 2-3

 

ブライス・テイラー著『Thanks for Memories』


マフィアたちは、エルヴィス・プレスリーを所有していた。フランクおじさんは、私をエルヴィスのところへ差し向けた。私は、エルヴィスに売春行為を行い、彼等がエルヴィスに伝えたい事や、ショーや歌の中で彼に言ってほしいこと、やってほしいことを伝えるように指示されていた。エルヴィスが言われた通りにしなかった場合、彼らは脅迫したり拷問したりした。彼らはエルヴィスを支配しており、ショーの前に私をエルヴィスのところへ差し向け、次のコンサートで何を言って何をするか、指示を伝えた。彼はいつも、薬漬け状態だった。私は彼に、聴衆へ届けるメッセージについて言われた通りに伝えた。その後、エルヴィスは汗を流しながらベッドの上で気を失った。そのような状態でも、彼の容姿は衰えていなかった。しかし、体重が増え始めると哀れな様相となっていった。

私は、エルヴィスが死ぬ直前まで彼のところへ差し向けられた。私が最期にエルヴィスの元へ送られた時、彼はほとんど意識が無い状態だった。彼らがエルヴィスに何をしたのかはわからないが、彼らはエルヴィスをとことん使い果たしていた。そして、エルヴィスが知っていることを何かの拍子にしゃべってしまうのではないかと恐れていた。 それで彼らはエルビスに薬を飲ませ続け、結果彼は死んでしまった、ということだった。

エルヴィスは、これらの男たちの標的にされていた。エルヴィスや他の人たちに届けるメッセージを与えられるとき、事前にプログラムされている時は別として、彼らは私の腕に薬物を注入し、私のマインドのファイルにメッセージを素早く耳打ちし、そのメッセージを届けるために私をエルビスの元へ差し向けるのだった。その後で、エルヴィスが言われたフレーズを、歌を紹介する時に使うのだった。初期の頃は、それらが新しい歌の歌詞の一部になっていた時もある。エルヴィスは、多くの点において、後に彼の地位に取って代わったマイケル・ジャクソンと何ら変わりはなかった。私は、彼等は両者ともコントロールされていた、と考えている。

私のコントローラーたちは、しばしば夜遅く、売春の後にメッセージを届けるため、私にホテルの鍵を渡しエルビスの元へ送り込んだ。エルヴィスへのメッセージは、彼自身の歌の中からの言葉の形であることもあったが、すべての言葉がそこにあるわけではなく、それは異なる意味合いを帯びていた。例えば、『賢者は言う、愚か者だけが無意味なことをする、と。』という言葉の後、私も理解できない言葉や数字、またはコードを届けるのだった。彼は、特定の曲の間に特定のセリフを言うように指示されていた。彼は、これらのフレーズを使って多くの女性たちをプログラムしていたのではないか、と私は考えている。事前の指示通り、彼が曲の合間にメッセージを入れると、そのメッセージは聴衆の潜在意識に深く入り込むのだ。高レベルにプログラムされた個人の潜在意識の中には猶更深く入り込む。これらは単純な言葉なのだが、特定の順序にすると、事前にプログラミングで調整された人々に大きな影響を与えるのである。

エルヴィスの晩年、つまり私が20代前半の頃、彼の部屋に差し向けられると、彼はますます体調が悪化していた。私が行くと、驚くことに彼はいつも一人だった。彼はいつもベッドに横になっていて、私が部屋に入って行っても、私がそこにいることに驚いたり、起きたりすることさえしなかった。麻薬やアルコールへの依存のため、完全にぼうっとした状態だった。ナイトテーブルにはたくさんの薬の瓶が置いてあった。

エルヴィスは、操り人形であり、駒であり、挙句の果てに完全にコントロールされ、最終的には彼をコントロールする男たちによって使い果たされたのだ。

彼がステージで描いていた自身のイメージは、彼の素顔とは全く違っていた。それを示すために、私が覚えていることをここで共有したいと思う。これらの記憶を取り戻すことは、嗅覚部分を伴ったため感覚的に非常に不快であったことを前もって断っておきたいと思う。

それは、夜遅くのことだった。私はエルビスの部屋へ差し向けられた。彼は、コンサートで身につけていたゴールドの宝石や白いスーツを身に着けたまま、ベッドに横になっていた。彼は、ルームサービスのディナーを終えるとバスルームで嘔吐した。彼は太っていることについて、自分自身に非常に怒っていた。そしてコンサートのために体重を減らさなければならないと話すのだった。多分意図的に嘔吐をしていたのだと思う。私は、彼がバスルームで嘔吐しているのを耳にしただけだったが、彼がベッドに戻ってくると嘔吐の臭いがした。すると彼は再び起き上がり、浴室へ戻っていった。彼は、泣きながら鏡の前に立ち、両手でカウンターを叩きながら叫んだ。『こんな人生はまっぴらだ。すべてはコントロール不能だ。俺の人生は台無しになってしまった! 俺は落第だ!』

私は、自分の手で彼の背中を支え、次に彼の首の後ろに手を置いた。私の手の感触を感じると彼はさらに頭を流しの上にぶら下げるようにして泣いた。『俺はめちゃくちゃだ。一体何が起こったんだ。突然、俺は破壊されてしまった。』そして今度は叫びながら『何が間違っているのか? 俺の一体何が間違っているのか?』そして彼は髪を引っ張り始めた。私が彼を引き上げると、彼は振り返り私に腕を回し、崩れ落ちそうなくらいにただただ泣き続けた。私は彼をベッドに誘導し、横になるよう手伝った。口は開いたままで、呼吸はしていたが意識は飛んでいるようだった。私は彼をベッドカバーで覆い、部屋からひっそり出て行った。

私の父は、廊下のすぐ下の外に立って私を待っていた。彼はベージュのスーツを着ていた。そして、ダイアモンドのピンキーリングを着けた方の手の指をパチンと鳴らすと、私は彼が命じたすべての指示に無心に耳を傾けた。そして彼は私についてくるようにと言った。父は私を階下のクレイグと私の部屋に案内し、ロックを解除しドアを開け、私が中に入るのを待ってから私の背中をスタンガンで打った。私が床に倒れると、彼はドアを閉めて出て行った。私はしばらくそこに横になり、それから正気に戻っていった。私は浴室に這っていき、なんとか浴槽に浸かった。水は効果があったが、非常に気持ちが悪く、薬の影響でぼうっとしていた。目を開けているのもやっとの中、なんとか浴槽から出て、着替えをし、就寝した。ゆっくりとぐらぐらと、ぼんやりとベッドに向かい、クレイグの隣に横になった。次の2日間はとても気分が悪く、食事をするのに苦労した。疲れ果てていて吐き気を催した。が、その理由を知るために自分の脳にアクセスする方法を私は持ち合わせていなかった。

やがてエルヴィスは、全く機能しなくなっていった。ヘンリー(ヘンリー・キッシンジャー)と彼の仲間たちは笑いながら、『エルヴィスはブリキ男のようなものだ。すべて錆びてしまった後は、放置する廃品置き場の準備ができている。』と話していた。彼らは、医者によって処方される薬物の量を増加させエルヴィスが深刻な機能不全に陥るのを待っていた。そうしておいて彼らは、彼のティッカー(心臓)を止めたのだ。私は、最期はフランクと彼の仲間たちが始末した、と考えている。

 

フランク・シナトラエルヴィス・プレスリー

(2-4へ続く)

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フランク・シナトラ、そしてエルヴィス・プレスリー    ブライス・テイラーさんによる告発 2-2

 

ブライス・テイラー著『Thanks for Memories』


残忍なポルノは、私が10代後半から20代前半の頃、ラスベガスの有名ホテルで撮影された。彼らはコスチュームやおもちゃを使っていたが、テーマはしばしば暴力的であった。そして時々人が殺された。私は、プログラムされたアセットであり、私を使ったもっと先の計画があったので殺されなかったのだ。

フランクおじさんは、望めば私を殺してもらうことができたと思う。彼は、素早くそして手際よく人を殺せる友人を持っていた。彼は私に、彼の友人たちが何ができるかを見せてくれた。彼らが人を拷問し殺すところを見るように強いられたのだ。

フランクおじさんは、※『アブラハム、マーテイン・アンド・ジョン』という曲を私に歌って聞かせた。聞いている間、私は椅子に縛り付けられた。フランクおじさんは座って足を軽く踏み鳴らした。そして歌が終わると私にこう尋ねた『わかったな?』それから彼は、何度も何度も私を叩いた。彼は、『ケネディ兄弟は、愚かで規則から外れたから、それに相応しい憂き目にあった。』と言った。

タホもマフィアと繋がりがあった。ラスベガスやタホ/リノで演奏する多くのエンターテイナーがマフィアに使われていた。ヘレン・レディやカレン・カーペンターも操られていたのではないか、と私は考えている。私はカレン・カーペンターの曲を使っていくつかプログラムされていたので、彼女が死んだときは、彼女のことをよく知っているかのようにとても悲しく感じた。彼女もまた、マインド・コントロール下に置かれていた、と私は考えている。ボブはマフィアに違法なビジネスや政治的つながりへのアクセスを提供し、マフィアはボブに世界中の保護とつながりを提供していた。それらはネットワーク化されており、至る所で相互にリンクされていた。

ジミー・ザ・グリーク(ジミー・スナイダー)は、私にとって非常に恐ろしい男であった。私が誤った方向を見ただけで、彼は私を殺すと脅した。彼はやりたいことについて絶えず気が変わるので、彼を喜ばせたり、彼が指示したことを正確に理解することは困難だった。彼は私に何かをするように言った後考えを変えてしまうのだが、そのことを私に言うのを忘れてしまうのだった。彼は、私が言われたことをしないでいると私を床に叩きつけた。彼は、ラスベガスでコネクションを設定し、私を派遣することを管轄していた。私は、彼の視覚的なイメージを、暗く複雑なマフィアとして覚えている。そして彼は、その種のマフィアのアクセントのある、くずれたスラングの英語を話していた。彼は私にボブへのメッセージを伝えることがあったが、それは『ロバの尻尾』とか『象の耳』などというフレーズが含まれていた。その頃は、そのメッセージが一体何を意味するのか解らなかった。しかし今では私はマインド・コントロールから解放されているので、もちろん私を介して伝えられたこれらのメッセージの性質を知ることができる。それは明らかに、政党について言及していたのだ。彼は、左手にダイヤモンドのピンキーリングを着けていた。左側にダイヤモンドピンキーリングを着けることには、何か意味があったのだと思う。父も、私をラスベガスに連れて行くときはいつもダイヤモンドピンキーリングを着けていたからだ。ジミー・ザ・グリークは、ラスベガスにおいて私を頻繁に指示し、私が売春させられることになっていた人々のお膳立てをした。もちろん、評議会は前もって、ジミー・ザ・グリークがお膳立てをした相手に対して使えるように私を事前にプログラムしていた。私が誰と一緒にいる予定でいるのか、彼ら全員がどうやって知っていたのかは解らないのだが、ボブ・ホープヘンリー・キッシンジャー、そして評議会は常に前もって決めていたのである。ひょっとしたらジミーがラスベガスで彼らのために働いていた、ということなのかもしれない。

60年代後半から70年代にかけて、ラスベガスにはたくさんの有名人がいて、夜の間中私は売春をさせられた。エルヴィス、サミー・デイヴィス・ジュニア、エド・マクマホン、 ジョニー・カーソン、ジミー・デイーン(カントリー・ミュージック歌手)等である。父は、私が21歳少し過ぎるころまでラスベガスに同伴した。その後は、夫と私が二人で行くようになった。夫のクレイグは、ディナーショーの後私を部屋に連れて行き、ギャンブルに行ってくると言って出かけた。私はよく夫に私から離れないよう懇願したが、彼は私が過剰反応しているなどと言ってとにかく私を置き去りにして行ってしまうのだった。夫が去ってしまうと、すぐにスーツを着た男たちがやって来て私はコントローラーのために役割を実行するように連れて行かれるのだった。

ディオン1968年に発表した楽曲で、エイブラハム・リンカーンマーティン・ルーサー・キング・ジュニアジョン・F・ケネディロバート・ケネディに向けた鎮魂歌。

 

カーペンターズボブ・ホープ

 

スポーツ・コメンテイターとしても知られたジミー・ザ・グリーク

(2-3へ続く)

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フランク・シナトラ、そしてエルヴィス・プレスリー    ブライス・テイラーさんによる告発 2-1

 

ブライス・テイラー著『Thanks for Memories』

人々が本当にこの現象と戦いたいのなら、情報は一般に公開されなければならない。それは日の目を見るように表へと持ち出されなければならない。そしてそれは、告発するために表に出てきた人々を保護するために、非常に公に行われなければならない。これは本質的に国際的であるため、国内レベルのみで戦うことは不可能である。政府は、世界中の他の政府と結託しあいながら活動している。権力を求めている人間は、他の人間たちと協力しながら活動している。 彼らはお互いを利用しあい、社会的、経済的、政治的な権力を獲得していくのだ。ーグリーン博士

 

[16章より抜粋]

ある夜、フランク・シナトラがラス・ベガスでのショーを終えた後、ボブ・ホープは私をこのフランキーおじさんに与えたのだった。フランクは、好んで鞭と鎖、そして非常に恐ろしい革のストラップを使用した。私が仰向けに横になっている間、私の上に乗っかり、首の周りを革のストラップでほぼ死ぬ限界にまで締め続けるのだった。私は、彼に頻繁に売春サービスをし、言われたことを実行した。ある時、私はダイヤモンドのスティックピンを身に着けている男のところへ行き、『I love you』というメッセージを伝えるように指示された。しかしこれについては、全てを思い出すことが出来ずにいた。何故ならこの件について思い出そうとすると、意識がいわばカルーセルに乗ってぐるぐる回っている状態に陥ってしまうからである。このプログラミングは、『スピン・プログラミング』と呼ばれ、記憶を混乱させることを目的に使用されている。この頭の中で感じたぐるぐる回る感覚は、※『頭が回転していてめまいがする』という歌詞が思い浮かぶように頭の中でこのポピュラーソングが鳴り続ける、というプログラミングと組み合わされていた。ラスベガスにおける出来事全体は、私にとって常に非常に辛い悪夢であった。私はそこで、フランク・シナトラからたくさんの暴力を受けたわけだが、フランク曰く、これは『すべての小さな秘密たちを静かに保つため』ということであった。彼は、非常に残忍であった。上下に縛り、手首を結び、何度も何度も叩きのめし、眩しいライトを使い、革のベルトで縛り上げた。ラスベガスは、決して楽しいところではなかった。そこでは、ポルノの撮影も行われた。そして政府高官やボブ(ボブ・ホープ)の友人たちに売春行為をさせられた。フランクおじさんの見張りがあったので、私は決して規則から外れることはなかった。規則から外れようものなら、結果は悲惨なものだった。なんらかの形で従わなかった場合、間違いを測定する『ナンバーシステム』というものがあり、一定のポイントをマークダウンされた。ナンバーシステムが何であるのか、それがどのように機能するかについては知らされていなかった。彼らは、何年もの間そのスコアを維持し、私が子供を産んだ後、その『刑』は重くなっていった。そして彼らは、子供たちを痛めつけると脅したり、また、子供たちが大きくなると私たち全員を痛めつけるために私を3人の子供たち全員の前に置き、半殺しの目にあわせた。私たちがトラウマ状態に陥り何も想い出せない状態にするためである。後年、私の幼い娘のケリーは、ジョージ・ブッシュミッキー・ルーニー等の小児性愛者を含む、多くの有名で性的に変質した男たちに売春サービスをさせられた。

フランクおじさんは、ボブより年下だった。ボブは私に、『必要な時は、フランクは速く走ることが出来るのでお前を難なく捕まえることが出来る。』と私に話して聞かせた。私にとってフランクおじさんは、テッド・ケネディフランソワ・ミッテラン、そして私の実の父と同じく最悪の相手であった。フランクはとても恐ろしかったが、ラスベガスにいる時は彼に直接仕事の報告をしなければならなかった。建物の二階で会い、あらゆる指示に耳を傾け、それに従った。フランクがパチンと指を鳴らすと(その合図で)私は別の人格となり、彼が命じたすべてを遂行していった。

フランクおじさんは私に、バカラブラックジャック、クラップスのテーブルで誰の傍に座るか指示を与えた。そしてある特定の男たちに何を話し、どこでどのように彼らに売春サービスをするのか指示し、彼らを案内する部屋の鍵を渡した。フランクおじさんが私を仮死状態にさせるのによく使用していた鞭や鎖、そして革のストラップが、これらの男たちにも提供された。

フランクは、非常にプライベートな人間であった。そして非常に夢中になる性質があった。ある時、彼は私の髪をつかみ、窒息死するほど頭を浴槽に押し込み続けた。私は何度も殺されかけた。彼は人を拷問するための、あらゆる方法を知っていた。私は彼がテーブルの角で男の腕を折るのを見たことがある。まるでプレッツェルを折るかのように。男は気を失っていた。 フランクは、好んでそのようなことをしていた。私は報復を恐れ、できる限り最善の仕事をした。私の仕事が彼等の基準に見合わなかった場合、私は非常にひどく痛めつけられた。フランクおじさんは、骨折するほど私を壁に叩きつけた。それを彼は『ボディスラム』と呼んでいたが、私はその『ボデイスラム』をたくさん受けなければならなかった。ある時は、 フランクは大きな電気シェーバーを使いそのかみそりで非常に敏感な箇所をつまんだり切り込みを入れたりした。私が痛みに耐えかねて飛びあがるのをただ笑っているのだった。泣くことは許可されていなかったが、そんな時は涙が流れるのを制御することは出来なかった。フランクおじさんの相手をしている時に出てくる私の人格たちは、私のメインのレポ―テイングパーソナリティである『サンディ』が率いる、レポーテイングパーソナリティのシステムに直接結びついていた。これらの人格は、嘘をついたり身を守る能力はもちあわせず、起こった全てをレポートしていった。

私はしばしば、ラスベガスの暗くて煙が充満している部屋で、男たちのグループから指示を受けた。警備担当の男は、私を知っていて、いつも手を振って私を通した。男たちは、法律を超え、ルールを超えて活動しているのだった。そして多くのカジノの中で繋がりを持っていた。私が届けるメッセージは、ギャンブルに関するヒント、麻薬や銃の取引に関する情報、およびその他の違法に隠された議題についてであった。私は、議題を事前にプログラムされ、多くの異なる男たちのもとへと送られた。男の身体的な特徴やいつどこにその男が現れるか事前に教えられていた。私は男に会い、言われた通りのメッセージを届けるのだった。時には売春行為もフォローするように指示された。

常に誰かが、私の行動に目を光らせていた。父も母も、いつも姿を消してしまうのだった。私がラスベガスでコントローラーのために働いている間、彼等が一体どこに行って何をしていたのか、私は知らない。父はこれらの男たちと関係があったのだが、彼らは一緒にいるところを人に見られないようにしていた。彼らは、遠くからお互いに秘密のハンドシグナルを出し合っていた。私は、父がこれらの合図をしているのを見たことがある。ラスベガスでは、父はいつもダイヤモンドのピンキーリングを身に着けていた。彼は手を上げ、腕を組み、左右の人差し指を見せたりした。そして腕を一回振り下ろした。それを見ていた男は、同じ動きを父に返し、鼻を引っ掻いた。そして彼らは、すぐにお互いに背を向けた。父は私をホテルの部屋に連れて行った。そこで彼は部屋の周りを案内し、私が部屋の中の特定のものに反応するように暗示をかけた。『浴室のゴールドの備品に触れると、自分が関わっていたことを永遠に忘れてしまう』、という暗示が与えられた。父は私の右肩に手を置きながら、次のように私に暗示をかけた。『お前は、私が二度ドアをノックするたびに、普通に、そしてごく自然に、完全に目を覚ました状態で仕事へ行く準備が出来ており、ドアを開けるだろう。』そして彼は、試しにドアを2回ノックした。時々、父はこの割り当てられた仕事に必要な衣類や宝石、小道具を運んできた。完全なトランス状態で、彼が私の頭を指示(異なる部屋番号に報告する時間、誰を探してメッセージを伝えるか)で満たす間、私は一心に耳を傾けた。そして父は指をパチンと鳴らした。彼は、私を平手打ちし、私の中のさまざまな人格にアクセスすることがあった。しばしば彼らは売春のスケジュールを過密にブッキングしていたため、その合間合間にお手洗いに行くように私をプログラムしなければならなかった。ロボット状態に置かれているため、私はお手洗いに行くのを忘れたり、行く必要性を感じることさえできなかったのだ。私は一晩に、部屋から部屋へと男たちの相手をした。一人につき少なくとも2時間を要した。午後8時にスタートし、午後10時にもう一人、深夜12時にもう1人、最後午前2時にもう一人、言った具合だった。そして午前4時にすべてが終了するのだった。 それは果てしない悪夢のような渦巻きであった。売春行為、その間の電気ショック、そしてそれらを人格を変化させながら続けた。彼等は、ボブやフランクおじさんの友達、マフィアのつながり、芸能人、政治家たちであった。ボブとフランクの間にはたくさんの友達がおり、 それは言ってみれば議会を所有しているようなものだった。

※トミー・ロウの『ディジー』という曲の歌詞の一部

 

フランク・シナトラボブ・ホープ

(2-2へ続く)

 

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