ニコル・キッドマンの父親 典型的なエリートによる児童虐待ニュース

 2020.06.04

今回は、ハリウッドを代表する俳優の一人である二コル・キッドマンの実父の事件を、エリートによる児童虐待の典型的なニュースの例として取り上げてみることにする。イルミナテイ元メンバーであるスヴァリさんによる告発内容を踏まえて読み進めば、きっと理解が深まるに違いない。                  

Divine Light

女優ニコル・キッドマンの父親

ハリウッドアカデミー賞受賞に輝いた女優ニコル・キッドマンの父親、ドクターアンソニー・キッドマンは『ピザゲート事件』との関連の取り調べを受ける前に亡くなった。

ニコール・キッドマンと実父のキッドマン氏

2014年9月、当時75歳であったキッドマンは捜査の手から逃れるためシンガポールに滞在していたところ、変死体でみつかった。事件当初は、キッドマンは娘のアントニア、そしてニコルとその夫、そしてその子供たちと共にホテルに滞在している、とされていたが、実はシンガポールへ逃避行していたという事実が後に明らかになった。

フィオナ・バルネットという女性により、ニューサウスウェイルズ警察署と児童虐待王立委員会の両機関にて、キッドマン氏による性的暴行・虐待の申し立てが、そのひと月ほど前になされており、キッドマン氏の、何十年にも及ぶ、シドニーエリート小児性愛ネットワークに関与した疑惑が取りざたされるようになっていた最中の出来事だった。

バルネットの申し立ては、ブリュッセル内にある国際司法正義法(ICLJ)によって管轄されていた。この団体は他にも60件を超える、世界中に広がった、エリート小児性愛ネットワークによる子供の生贄、子供狩りの狩猟、小児性愛性交に関する生々しい目撃者証言も管轄している。バルネットの告発はナチス・CIAによって実践されている、MKウルトラ式悪魔崇拝マインドコントロールの内容にも及んだ。

この告発内容は、あまりにも恐ろしく身の毛のよだつ証言である。グループ内部の友人、同僚の中で行われるショッキングな児童虐待の内容が含まれておりキッドマンとオーストラリアの元首相二人が関係していたとされる。この元首相とはMalcolm FraseとTony Abbottの両氏とされている。

バルネットの証言

バルネットの証言は以下の通りである。

Fiona Barnettさん

1975年10月28日、彼女の6歳の誕生日の日、誕生日パーテイ―という名目でキアマ雨林に連れていかれた。キャンデイの中に薬物が入れられており、それをなめたバルネットは眠りに落ちてしまった。気が付くと、あたりは暗く、彼女は裸のまま仰向けの状態で、鷲が羽を広げたポーズでピクニックテーブルの上に、両手、両足を縛られた形で寝かされていた。(これは儀式的なポーズである。)彼等は代わる代わる私に忍び寄ってきた。事が進むにつれ、事態は最悪な状態になっていった。彼等は、お腹をすかせた一群のドーベルマンを従え、ライフル銃を装着していたのだ。傍には身を寄せ合っている一群の裸の子供たちがいて、『彼等の運命は、お前にかかっているのだ。だからお前は逃げて、子供たちをどこかみつからない場所に隠さなければいけない。隠すことに失敗した子供はこの犬たちの餌、すなわちドッグフードとなるのだ。』と告げられたのだ。彼等が彼女の裸の胸と背中に何かを描いたあと、バルネットは子供たちと共に野に放たれた。こうして鬼ごっこが始まった。集団狩猟が追っかけてくる。銃の発砲。子供たちが彼女の周りでハエのように撃ち落されていく。バルネットは、今度は生き残った子供たちのことも構わずに無我夢中で走りまわる。集団狩猟は、このようにして行われたのだった。バルネットはキッドマンが主犯である、と名指ししている。キッドマンの死亡により、彼が二度と法廷で正しく裁かれることなく終わってしまったことにバルネットは動揺している。『キッドマンは口封じに殺されたに違いない。』とも。

これは典型的なグローバルエリートによる児童虐待事件の一例である。

『キッドマンは幼い私を残虐な性的虐待および肉体的暴行の対象とした。しかし、それよりも残虐な行為が彼の手によって他の子供たちにされているのを目撃しなくてはいけなかった。キッドマンは私が目撃した内容を決して口外しないようにプログラムの確認を怠らなかったが、どうやら私の場合は失敗したようである。私を十分にプログラムすることに失敗した責任をとらされたわけである。』

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