MKウルトラマインドコントロール犠牲者、ブライス・テイラーさんの告発 1-3

 

  2020.09.28

ブライス・テイラー著『Thanks for Memories』

第5章からの抜粋

7歳から10歳くらいまでのマインドコントロールプログラム

私の父は、近所やビジネスの取引のある男たちに私を売春で売っていた。私が、ウッドランドヒルズのヴェンチュラ・ブルバード(Ventura Blvd)とフォールブルーク・アヴェニュー(Fallbrook Ave)のコーナーにあったガソリンスタンドへ、自転車で通うようにプログラムを施していた。その見返りとして、ガソリン代や修理を無料にしてもらっていた。現在はそのガソリンスタンドは無く、代わりに大きなオフィスビルが建っている。父は隣の家のファシアーノ家にも私を売っていた。見返りにいつも20ドル札をもらっていた。 

ある夜、夕食のテーブルで、父はロバート・テイラーアメリカの有名な俳優)が我が家へやってくる、と言った。私はそんな有名な俳優が、何故我が家のような溶接業者に用があるのか、と不思議に思った。後で判ったことだが、ロバート・テイラー児童ポルノ7歳から10歳の少女との性交渉を好んでいたのだ。 

また、7歳の時には、ヴェンチュラ・ブルバードにある、コービンボールというボーリング場の後部にある部屋で、大人の売春婦たちに混じって訓練を受けた。このように私が関わっていた売春とポルノのビジネスは高度に組織化されていた。 

ある時は、私の解離した人格が、路上にいる子供たちを誘い込み大きな黒い車で連れ去る、という、誘拐の手引きができるようプログラムが施された。このようにして誘拐された子供たちは、最初ケージに入れられ、ポルノフィルムに使われた。スナッフ映画にも使われ、次々と殺されていった。私も含め、牛追い棒や他の電気道具がショックを与えるために使われた。

 

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牛追い棒

ポルノフィルムは、このコービンボール(ボーリング場)で撮影された。撮影の場には、子供たち、女性たち、男性たち、動物たちがいた。 

私の知る限り、父のビジネス関係は多岐に渡っていた。しかしある特定のグループの会員であることが、長期に渡っていたわけではない。その代わり、短期間でグループからグループに渡り歩いていた。そのたびに私に必要なプログラムが施されていった。グループ名は例えば、ライオンズクラブだったり、KKKであったり、ネオナチグループであったりした。公には、そして表の意識の上では、私の父は民族的ないかなる偏見をもたないし、そうであってはいけないと私に教育したが、同士の秘密の集まりでは、黒人やユダヤ人を侮蔑し、拷問し、殺すことに参加していた。 

私はしばしば夜遅くに行われる『儀式』に連れていかれた。特に際立った出来事は、私の10歳の誕生日が近づいていたある夜のことだった。グループの男の一人が、私に『敬意を表し、またパワーを与えるため』にと、黒人男性を生贄にしたのだった。私が完全なパニック状態で見ている間、彼等は男性を拷問し、生きたままかがり火に投げ込んだ。この時、私はこのトラウマに耐えられるように別人格を創りだしていた。またある独立記念日(7月4日)には、小さな子供が、家の近くの水路に黒いセダンで運ばれてきた。私の父は、自家製の爆薬をその子の身体に巻きつけ、自分はあまりにもパワーがあるので、この子を生かすことも殺すことも出来るのだ、と言った。次に私の憶えていることは、爆発音とともにその子の身体はどこにも見当たらなくなった、ということだった。このように、私の意識を解離させたままにする戦略が限りなく続いた。 

ある時、私の父と近所のジャック・ライスという男が私をシュライナーズ(フリーメイソンの付属組織)の集まりに連れて行った。そこには赤いシュライナー帽を被った男たちが集まっていた。私は白いセイラ―の襟のついた紺色の洋服を着せられていた。私を挟むようにしてライスと父がテーブルに着席した。そこで私がぼーっと見ている中、彼等は食事をしていた。男が一人立ち上がり、グラスをチャリンと鳴らし、『今夜は我々を楽しませ、喜ばせるために小さなメンバーが来てくれています。さあ、彼女を拍手をもって迎えましょう!』と挨拶した。 

 

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赤いシュライナー帽

 

私はステージにあがり、国歌にあわせて踊り始めた。一枚服を脱ぎ、靴を脱ぎ、パンタロン、下着を脱いでいった。会場は沸きに沸いた。ライスが舞台袖口の階段の下で待っており、私は彼に誘導されて舞台裏に引っ込んでいった。 

私の父は相変わらず、夜私の部屋へ忍んできていた。父は私がアーリア系人種の子孫であり、ブロンドの髪、緑色の眼、青白い肌は自慢だ、と話すのだった。10歳で生理が始まった。私は時には年2回、儀式的に強姦され、妊娠させられた。胎児が2~3カ月の時期、儀式的に堕胎させられ、その胎児はメンバーによって食べられた。そうすることで、これに参加した者たちが『よりパワフルになる』、と信じられていた。これらの体験は、破壊的で、魂にとってあまりにも苦痛を伴う経験だった。これらの精神的外傷を与える出来事はマインド・コントロール・プログラムを強化させ、ポルノフィルム、売春、その後のプロジェクトに私が使われた記憶は喪失していった。

このような虐待下に置かれていても、私は普通の小学生であるようにプログラムが施されていた。

 アイオワ、政治アリーナへの階段

私の父方の祖父は、イワン・チャールズ・エックハート(Ivan Charles Eckhart)と言った。富豪であり、アイオア州のコレクション・ヴィルという町の市長だった。祖母はリー・エックハート(Leah Eckhart)といい、小柄で短気な女性だった。今はどうして彼女がいつも怒っていて短気だったかが解る。祖父の豪華な寝室とは別に、彼女の寝室は地下にあり、セメント打ちっぱなしの粗末な部屋に寝ていたのだ。その頃の私は、質問することも疑問をもつこともできなかった。祖父母とも、この何世代にも渡って続いている虐待について、理解し、癒される、という機会はついに与えられることなく亡くなってしまっている。 アイオワでの滞在中、私は祖父のビジネス・政治関係の友人たちをもてなすように強いられた。会合では、テーブルの上で裸で踊り、多くの祖父の仲間のために性的な接待を強いられた。こうして祖父の住むアイオワへの旅行がだんだんに私を政治家たちへと結び付けていった。

中学生の時に決まっていた結婚 

中学はヘール(Hale)中学へ通った。家族が通うウッドランド・ヒルズにあるファースト・プレスビテリアン教会の向かい側にあった。そのヘール中学で、まだ13歳の時に、将来結婚することになるクレイグ・フォード(Craig Ford)と出会った。ある午後、私の母が学校に迎えに来た時、クレイグを母に紹介した。母は『あなたは将来彼と結婚することになるわ。』と言うのだった。私は『どうしてそんなことがわかるの?』と笑いながら尋ねると、母は、『ただ、わかるの。』と答えた。私はそれ以上追求しなかった。クレイグはその後すぐに一対一の交際を求めてきた。その後何年も、クレイグと私はクロス・プログラミング(マインド・コントロール)を通して互いに縛り付けられていった。そして、後に私のハンドラーが務まるよう十分なマインド・コントロール下に置かれるように、トラウマを共有させられていった。黒いスーツの男たちを乗せた大型の白いヴァンが、ヴェンチュラやオックスナードにある様々な場所で私たちをピックアップした。ブリーフケースの中には特殊な器具が入っていた。車の中には大型の器具が備わっていた。彼等は日常的にクレイグを私の目の前で殴り、クレイグがどんなに弱虫で、彼等がどれだけパワーがあって私をコントロールできるかを実際に演習をしてみせるのだった。(1-4へ続く)

 

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