マーク・ザッカーバーグの『フェローシップ』グループのメンバーが誰であるかをここで話すことはできないが、フェイスブックの元々のメンバー全員が、これが『サイバー戦争のマインドコントロール』のための軍事プロジェクトであることを全員が最初から知っていた、という事実については指摘しておきたい。最初から実践されてきたすべての事項は、ソーシャルメディアプラットフォームが電子戦による行動操作を通じて『敵を征服する』ためにどこまで影響力を持つことが出来るか、その確認をするための実験だったのだ。マークの、アメリカのすべての大学生をつなぎたい、という表向きの考えは一見斬新なアイデアに見えるが、真の意図はこれとは程遠く、世界中のすべてのユーザーをマインドコントロール下に置く、というのが彼等の本当の狙いだったのだ。
グーグル、Gメール、フェイスブックといった無料のプラットフォームは、ユーザーに実験をさせるための革新的『詐欺』』なのだ。フェイスブックの初期メンバーであった私の古い仲間の一人、シャーン・パーカーはメディアにすべてを告発したのだが、それによれば、フェイスブックは中毒者、つまりデジタル中毒者を創り出し、コントロールするためのサイバードラッグとして計画された、というのだ。シャーンが証言したように、我々は最初からそれがすべてのユーザーに害を及ぼすことを知っていたから、友人や子供たちにはこれらのシステムを決して使わせなかったのだ。マークと私も同様に、DARPA(国防高等研究計画局) の代表者から、それこそがフェイスブックの当初からの『計画』であると告げられていた。
『米国愛国者法』(すでに2015年6月1日に失効)の真の意味は、軍は、それが証明されるまで、すべてのアメリカ人をテロリストの可能性のある人物、または敵側の戦闘機とみなすことができる、というものだった。そもそもDARPAによって創られたインターネット上のすべての人間は『サイバーテロリスト』と見なされ、軍はそれらユーザーを『監視し標的とし武装解除させ積極的に遠隔操作する』システムを作成することを、彼らの任務としていたのだ。
私はこれについてマークと議論に至ったのだが、何の効き目もなかった。マークは基本的に、彼の『コントローラー』が彼に言ったことを何でも信じていたからだ。時々、プロジェクトが完全に間違っていることを彼に納得させることに成功しても、ハンドラー達からのたった1回の電話だけでそれは覆ってしまった。そしてマークは元の計画に戻っていってしまうのだった。マークには何の自由もなく、何をすべきか言われるままに指示されている姿は本当に哀れだった。彼はまた、全く整理されてなく、いつも考えが混乱していて何一つやり終えることができなかった。宿題も、大学の勉強も、作業も何ひとつとして。だから、会社が成長すればするほど、必ずマークが何かしでかした後にクリーンアップが必要となった。例えば、コードを盗んだことで他人に何百万ドルも支払うとか、口を開くたびに愚かな発言をするとか、会社の経営に注意を払わない等といったことだ。
彼はアメリカを嫌っていて、アメリカの税金をごまかしたり、動物と同等とみなしているアメリカ人達を騙すことができることをどれほど誇りに思っているかについて、わめきちらすのだった。マークは、自分が普通の人間より優った存在であると信じているのだ。彼は今では、フェイスブックを作ったのはすべて彼の仕事であると信じているかのようだ。彼自身もまた、この嘘の宣伝に完全に惑わされてしまったのだ。
マークは、実は自分が大学に申請を出す前にハーバードから入学許可の手紙を受け取ったのだった。マーク自身もさすがにこれには驚いていた。テストのスコア、面接、または前提条件など、何ひとつ必要でなかった。政府の『プログラミング』が彼に入学許可を与えたのだから。ハーバードが彼を必要とし、彼は言われた通りに従ったのだ。だから、ハーバード大学のラリー・サマーズ総長が入学まもなくマークを彼のオフィスに呼んだ時、マークはそれほど驚かなかった。サマーズはマークにソーシャルメディアプロジェクトに取り組むためのグループをスタートするように、と指示を出した。それは表向きは、『政府の契約を勝ち取るために教師と学生の間で想定される競争』、と思われていた。
表向きの目標は、皆が小さなグループで共有できるハーバードのソーシャルディレクトリーを作成することだった。しかし本当の理由は全く別にあった。このプロジェクトの本当の目的は、世界を操作するためのソーシャルネットワークを作成することにあったのだ。マークはそのアイデアを気に入ってはいたが、自身が怠け者なので何もできないでいた。彼は、ただうろうろ他の人たちの陣地に鼻を突っ込んで、彼らが何をしているかを探っていた。そしてただ、プロジェクトについてプログラマー達と話しあったりして、勝手にいろいろな約束をしてしまったのだ。従って、これらの約束から後に多数の訴訟が発生することになってしまったのだ。
ラリー・サマーズは引き続き情報アップデートのためにマークを彼のオフィスに呼び続けたが、マークはただ嘘の報告をしていた。時折、ラリー・サマーズのオフィスには外部者がいることもあった。中でもある人物が特に目立ち、より多くの会議に出席していた。その人物こそ、明らかにこのプロジェクトの責任者だった。彼が他でもない元ハーバード法学部教授のジェームズ・チャンドラーだった。彼は、自分はDARPAのトップアイデアマンの一人で、実際に陸軍のために基本的なプログラミング言語を開発した、と豪語していた。 (Part 4へ続く)