ジョン・パーキンス氏 『エコノミック・ヒットマン』から20年 後編

 

『エコノミック・ヒットマン』著者 ジョン・パーキンス氏

これは機密解除された情報なのですが、CIAが自身のウェブサイト上で、イランのモサデグ首相、チリのアジェンデ大統領、グアテマラのアルベンス、ベトナムのデイン・ジエム、コンゴのルムンバらに対し、米国政府が政府転覆または暗殺に深く関与した事実を認めています 。チリのアジェンデ大統領の場合と言えば、彼の地位は、ひどく残忍な独裁者ピノチェット将軍に取って代わられました。ピノチェットは『コンドル作戦』の擁護者でした。彼は何万人もの人々の殺害を監督した人物でしたが、ヘンリー・キッシンジャー国務長官によって『資本主義の偉大なる擁護者』として讃えられたのです。

エクアドルは何年もの間、アメリカ寄りの独裁者によって支配されていました。 多くの場合、比較的残忍な独裁者によってです。そして遂に真に民主的な選挙を行うことが決定されました。ハイメ・ロルドス氏が大統領として公約した主な目標は、エクアドルの資源が確実にエクアドルの人民のために使われるようにする、ということでした。そして彼は1979年、圧倒的な支持を集め大統領選に勝利したのです。そして彼は、石油によって生まれる利益が確実に人々を助けるために使われるよう政策を実行し始めました。アメリカはもちろんそれを嫌ったのです。私はエコノミック・ヒットマンの一人として派遣され、ロルドス大統領を腐敗させ方針を転換させるように働きかけたのです。もしあなたが私たちのゲームの仲間に入るのなら、私はこの手に何百万ドルというお金をあなたや友人たちのために用意しています、と。しかしロルドス大統領は我々の誘惑には乗らなかったのです。方針を変えなかったのです。それで彼は暗殺されたのです。彼の乗った飛行機が墜落したのですが、この事件を調べればそれが暗殺であったことに疑いの余地がないのです。もちろん、私はエコノミック・ヒットマンでしたから、クーデターか暗殺か、ロルドス大統領の身に何かが起こるであろうことは予期していたことでした。パナマのトリホス大統領は非常にカリスマ的で、私は彼のことがとても好きでした。彼は本当に国を救いたいと考えていました。私が彼に賄賂を贈ったり堕落させようとすると、彼はこう言ったのです。『ジョン、私が必要としているのはお金ではないのです。私が本当に必要としているのはパナマの国が公平に扱われることなのです。米国は、これまでパナマを破壊してきたことで負った借金をパナマの人々に返済しなければいけません。私は、他の南米諸国が独立した時に彼等を助ける立場にいたいのです。我々は、北米によるひどい搾取から解放される必要があります。私は、パナマ運河パナマの人々の手に戻したいのです。 それが私が欲しいものなのです。』と。そして1981年5月のことでした。エクアドルのロルドス大統領が暗殺されたのです。ロルドス大統領が何故暗殺されたのか、トリホス大統領は良く理解していました。多分次は自分だろう、と。そしてそれでも構わないと。 すでに運河について再交渉し、これで運河がパナマの人々の元に戻るのだからと。彼は、ちょうどアメリカのカーター大統領との条約交渉を終えたところだったのです。ロルドス大統領が暗殺されたその同じ年の7月、つまり翌々月、彼の乗った飛行機も墜落したのです。飛行機の墜落がCIAの後援する『ジャッカル』によって実行されたことは、疑いの余地のないことでした。膨大な証拠が存在するのですが、彼が飛行機に搭乗する最後の瞬間に警備員によって小さなテープレコーダーが手渡されたのです。その中には爆弾が仕掛けられていたのです。この『システム』が何年も何年も何年も同じように続いているという事実は非常に興味深いことです。そしてエコノミック・ヒットマンの手口はその頃よりもどんどん巧妙になってきているのです。ベネズエラにも同様なことが起こりました。1998年、国の経済を破壊させる非常に腐敗した大統領たちによる政権が長く続いた後、チャベス氏が選出されました。チャベス大統領は、アメリカに立ち向かっていったのです。彼は、ベネズエラの石油はベネズエラの人々を助けるために使われるべきだと主張したのです。もちろんアメリカはそれを嫌ったのです。2002年にクーデターが起こったのですが、背後でCIAがそれを演出していたという事実に疑いの余地はありません。このクーデターが行われた方法は、以前カーミットルーズベルトがイランで行った方法を非常に反映していました。お金を払って人々を雇い、通りで暴動を起こさせ、チャベスは人気がない!、と抗議させたわけです。数千人にそれをやらせれば、あとはテレビがまるでその運動が全国規模で起こっているかのように報道してくれるわけですから。そして事態はさらに拡大していく、というわけです。しかし、チャベス大統領の場合は違いました。彼は非常に頭が良かったですし、人民が彼を強力に支持したのです。これは南米の歴史において驚異的な瞬間でした。次はイラクの話しをしましょう。イラクで起こったことは、この『システム』全体がいかに機能するかを完璧に示した例と言えるでしょう。まず第一番手として、エコノミック・ヒットマンが派遣され、政府を腐敗させようとします。目的は巨額のローンを貸し出し、それをレバレッジとして使い、国を所有するためです。もしこの作戦がうまく行かなかった場合、2番手として『ジャッカル』が送られるのです。そうやって政府を転覆させたり要人を暗殺したりした後、新しい政府に入れ替えるのです。新しく就任した大統領は、もし言うことを聞かなかった場合に何が起こるかを知っているのでこちらの命令に従うのです。イラクの場合は、エコノミック・ヒットマン、ジャッカル、その両方の作戦が失敗したのです。サウジアラビアが受け入れた条件と非常によく似た取引きをフセイン大統領に受け入れさせようと懸命に働きかけたのですが、彼はそれを受け入れなかったのです。そして次の手、つまり『ジャッカル』が放たれました。しかしセキュリテーが強固で彼に手を出すことが出来なかったのです。フセインはかつてイラクの前大統領を暗殺するためにCIAに雇われたことがありました。その暗殺計画は失敗に終わったのですが、だからこそ彼は『システム』をよく知っていたのです。それで我々は遂に1991年、軍隊を送り込んだのです。その時点で我々は、サダム・フセインは方針を変えるだろうと想定していました。もちろんその時にフセインを取り除くこともできたのですが、我々はそうは望んでいなかったのです。 彼は、いわゆる我々が好む『強い男』でした。クルド人を支配し、イランとの国境を保ち、我々のために石油を汲み上げ続けてくれるだろう、と踏んだのです。彼から軍隊を取り上げたのだから、彼は譲歩してくるはずでした。それでエコノミック・ヒットマンが90年代に再度派遣されたのです。ところが作戦は成功しなかったのです。もしエコノミック・ヒットマンたちのこの時の仕事が成功していたのなら、フセイン大統領は現在もまだイラクを統治していたことでしょう。戦闘機でも何でも彼が望むもの全てを売ろうとしたのですが、うまくいかなかったのです。『ジャッカル』も彼を取り除くことが出来ませんでした。それで、我々は再度軍隊を派遣し、今度は『仕事』を終わらせたのです。つまり、作戦通りフセインを取り除いたのです。そしてその後非常に有利な建設取引を行いました。本質的に国が崩壊するように再建した、ということです。大手建設会社を所有していた人たちにとってはかなり良い取引だったでしょうが。つまりイラクにおけるケースで、作戦には3つの段階があることが示されたのです。 1番手のエコノミック・ヒットマン作戦が失敗し、2番手のジャッカル作戦が失敗すると、最終の3番手が用意されているということです。つまり軍隊が派遣される、ということです。そのようにして、我々は帝国を築いていったのです。米国の大多数の人々は、秘密の帝国の恩恵を受けて生きているなどということを知る由もありません。しかし今日、かつてないほどの規模で『奴隷制』が世界中にひろがっているのです。

 

拘束されたサダム・フセイン

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