元祖デイープステート告発者、ウィリアム・クーパー氏 2-6

 

ウィリアム・クーパー氏 著 Behold a pale horse 1991年出版

マルタ騎士団

マルタ騎士団は、このシナリオにおいて強力な役割を果たしている。1930年代、スメドレー・バトラー大将が、ホワイトハウス乗っ取りを支援するために採用された。彼は、軍隊における彼の普遍的な人気のために必要とされている、と言われた。バトラー将軍は号令をかけ、その策略の一部に数人の著名なアメリカ人を指名した。そのリストの一番上にいたのは、マルタ騎士団の米国支部創設メンバー、ジョン・J・ラスコブである。彼は、ゼネラルモーターズ社の取締役会長であり、マルタ騎士団米国財務長官であった。この策略を調査するために議会の公聴会が開かれたが、ラスコブを含む指名された者たちは誰も証言台に呼ばれることはなく、結局公聴会から何も明かされることはなく事件は終わった。これは議会の記録には残っているが、歴史書のどこにも見当たらない事件である。

イラン=コントラ事件が、この1930代の策略と多くの類似点を持っていることは重要な意味を持っている。ウィリアム・ケーシーは、マルタ騎士団のメンバーであった。ウィリアム・ケーシーは、ブッシュ副大統領、アン・アームストロング、ドナルド・レーガンらの助けを借りて、ジョージ・ブッシュ、ウィリアム・ケーシー、オリバー・ノースなどが監視無しに汚い行為を実行できるよう、大統領の外国諜報諮問委員会を殲滅させたのだ。彼らはまた、合衆国憲法を一時停止する計画を策定していたのだが、彼らが捕らえられたときその計画を実行する準備をしていたことが発覚する。これらの事実は、聴聞会で明らかになったが、委員長であったハワイの上院議員ダニエル・イノウエによって封印されてしまったのだ。米国政府を転覆させるためのこの両方の策略には、途方もない権力が関わっていたことを理解する必要がある。ウィリアム・ケーシーは、CIA長官であり、CFRのメンバーでもあり、マルタ騎士団のメンバーでもあり、ロナルド・レーガンの政治活動の責任者でもあり、証券取引委員会の責任者でもあった。ニクソン政権下では、輸出入銀行の責任者であった。

ケーシーは、ソビエト連邦の『カマリバー・トラック工場』への融資を手配したのだが、その資金の90%は米国の納税者によって保証または提供されたものである。この工場では、ソビエト軍のための軍用トラックとタンクエンジンが製造されていた。世界最大の工場であり、現在もそうである可能性があり、米国すべての工場を合わせたものよりも多くの大型トラックを生産することができた。私は、ケーシーは殺害されたと考えている。

マルタ騎士団は、ビジネス、銀行、政治、CIA、その他の諜報機関、P2、宗教、教育、法律、軍事、シンクタンク、財団、米国情報機関、国連、その他多数の糸を織り交ぜた世界組織である。彼等は、最も古いものではないが、存在する『オーダー オブ ザ クエスト』の中で最も古い支部の1つである。マルタ騎士団の世界首長は、教皇の承認を得て、生涯にわたって選出される。マルタ騎士団は、独自の憲法を持っており、教皇を先頭にしたニューワールドオーダー(新世界秩序)の確立に向けて努力することを誓っている。マルタ騎士団のメンバーは、CFRと三極委員会の強力なメンバーでもある。

バチカン

バチカンは、何年にもわたってイルミナティによって潜入されてきた。この事実は、1738年、教皇クレメント12世が正式に宣言をしたことによって簡単に証明することができる。教皇クレメント12世は、メイソンになったカトリック教徒は誰であっても全員破門にする、と発表したのだ。これは非常に重大な処罰である。また1884年にも、教皇レオ13世は、メイソンは『異教徒の習慣と慣習を復活させ、地球上に悪魔の王国を確立させる』ことを試みているシークレット・ソサエティの1つであると宣言した。ピアース・ コンプトン氏は、彼の著書『The Broken Cross』の中で、イルミナティによるカトリック教会への侵入の歴史を辿っている。彼は、主要なカトリック教徒やイエズス会による『三角形の中のすべてを見通す目』の使用を発見していた。1976年のフィラデルフィア聖体議会の印章にも使用されている。イルミナティの最後の勝利を世界に発表した、1978年のバチカンの特別切手の上にも使用されている。コンプトン氏はまた、教皇ヨハネ23世が彼の私的な十字架に『三角形の中のすべてを見通す目』を身に着けていた、と主張している。コンプトンは、数百人の主要なカトリックの司祭、司教、枢機卿がシークレットソサエティのメンバーであることを断固として主張している。彼は、イタリアのジャーナルの記事を引用し、教皇パウロ6世の私的秘書、バチカンラジオの局長、フィレンツェ大司教、ミラノの前哨、バチカン新聞の副編集長、数人のイタリアの司教、そして聖ベネディクト騎士団の大修道院長らを含む70人以上のバチカン職員をリストにあげている。 それらのリストは判明しているものだけであり、それもイタリア国内のみのリストである。中でもイルミナテイの潜入を最も顕著に現わしているのは、それから数百年後にあたる1983年11月27日、教皇フリーメイソンリーに対し、正式な宣言を撤回し、カトリック教徒が破門を恐れることなく再びシークレットソサエティのメンバーになることを許可したことである。自分たちメンバーの一人を教皇の位に選出する、というイルミナティの目標は達成されたようである。そうであるなら、ニューワールドオーダー(新世界秩序)はもう間近に迫っている、ということである。 

バチカンへの最初の米国大使は、マルタ騎士団ウィリアム・ウィルソンであった。彼の任命はおそらく違法であり、実際、非常に非倫理的であった。

憶えているだろうか、ウィルソンは、リビアへの旅行が禁止されていたとき、リビアへ無許可の旅行をし、リビアの役人と個人的に会っていた。ロナルド・レーガン大統領はガダフィを『狂犬』と呼び、何度か強い脅しをかけていた。民間人が殺戮されることになるにもかかわらず、米国はリビアを爆撃することを決定していた。このウィルソンの旅行の後、ガダフィは、アメリカの外交官がリビアとの緊張を和らげるために派遣された事実について報道発表した。国務省は、そのような事実があったことを否定。ウィルソン大使は口を閉じ、コメントを拒否した。彼のこの行動は、米国に嘘つきのレッテルを貼りつけ私たちを当惑させたにもかかわらず、今日まで彼は何も発言していない。

この時一体何が起こっていたのかについての手がかりは、私たちがリビアと断絶しリビアを爆撃し米国市民がリビアへの旅行を禁止されている間、5つの巨大な石油複合企業がお財布を満たしていた、という事実が物語っている。W.R.グレース社は、その5つの会社の1つで J.ピーター・グレースが率いていた。W.R.グレース社の8人のメンバーは、マルタ騎士団のメンバーである。ニューヨーク・タイムズレスリー・ゲルドの記事によれば、行政当局はウィルソンの活動に懸念を表明していたという。これらの動きは、しばしばウィルソンの石油事業への接触と関心を中心に展開しているように見える、と彼らは発言していたのだ。

ウィルソンは解雇されるべきだったが、解雇されるどころか、彼と彼の妻は教皇イースターのミサに出席し、同じく出席していたジョージ・シュルツ(米国務長官)と彼の妻の隣に並んで立ったのである。これは、彼の行動が内輪で承認を受けていた、ということを示している。もちろん、ジョージ・シュルツは、CFR、ボヘミアンクラブベクテル社のメンバーであり、これらはすべて、『オーダー』およびマルタ騎士団と密接な関係がある。

ウィルソンは、大使として他のいくつかの不正行為にも関与していた。繰り返しになるが、いずれの場合も何も起こりはしなかった。憶えているだろうか、レーガン大統領は、ウィリアム・ウィルソンが所有するメキシコの牧場で馬から転落したことがあった。レーガン大統領がバチカンの米国大使であったときのウィルソンの行動を承認していなかったら、レーガン大統領がメキシコのウィルソンの家を訪れていたりしただろうか?真剣に考える必要があるのだ。

(2-7へ続く)

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