マルキシズム、サタニズム、そしてイルミナテイ、ニュー・ワールド・オーダー ② エッジ・オブ・ワンダーより

-------共産主義とシークレット・ソサエティが互いにどのように関係してきたのか、今まで疑問に思ったことはあるだろうか? 

このイデオロギーが最初ヨーロッパ全土に広がり、その後中国に、そして最終的には米国にまで広がり、この黒い策略が生まれたのだ。------------

 

フランス革命

フランス革命共産主義

共産主義は、一体いつどこから生まれたのか。共産主義の源は、古代ギリシャの哲学者にまで遡ることが出来るのだが、近代になっていよいよそれは本格的に燃え広がり始めたのだった。これらの動きを追跡するには、ヨーロッパで何が起こったのかを調べる必要がある。特にフランス、である。フランス革命に繋がるまで一体何が起こっていたのか、その背景をだ。

1185年にすでに始まっていたムーブメント

1185年、フランスでは『CONFRERIE DE LA PAIX 平和の同胞団』というムーブメントが盛り上がった。彼らは、貴族等を攻撃し、土地の共同体の設立に力を注いだ。彼らの信念体系は、『国有化』と呼ばれるようになった。

テンプル騎士団フリーメーソン

それから約70年後の1250年、エルサレムで設立されたテンプル騎士団は、十字軍遠征の後、フランスに帰還する。彼らは、リーダー、ジャック・ド・モレーの指導の下、フランス君主制から独立した立場を取っていた。従ってこの勢力は、当時のフランス国王フィリップ4世にとって扱いにくいグループとなっていた。1307年10月13日金曜日、幾人かのテンプル騎士団のメンバーが逮捕され、1314年3月18日にはリーダーのジャック・ド・モレ―を含む数人が処刑されたのだった。実はこの一連の事件が、後のフリーメーソン起源へと繋がっていくのである。

フリーメーソン誕生

その後、この大騒動を逃れたテンプル騎士団のメンバーたちは、絆を再編するために人目を避けてひっそりと会合を持つようになった。そして彼等は、新たな非難の追求から逃れるために、世間一般の人々には理解できない彼ら独自の関係の根拠を示す寓話的な方法を利用した。それが『フリーメーソン』の起源なのである。ここで注意が必要なのだが、フランス系のフリーメーソンとイギリス系のフリーメーソンはかなり違った方法で発展していった、という点である。ここで論じているのは無論フランス系フリーメーソンである。フランス系フリーメーソンには1700年代、グランド・チャプターという分派が誕生する。この分派は、王室と教皇に対し、1314年に処刑されたリーダー、ジャック・ド・モレーの仇を打とうとする願望をその後もずっと持ち続けていた。そしてグランド・オリエントと呼ばれるもう一つのフリーメーソンの分派と 連合するようになる。グランド・オリエントは 1786 年にこのグランド・ チャプターとの連合を開始し、はるかに危険な性質へと変貌していった。世界革命の巨大な計画が練り上げられたのは、この恐るべき手強い分派によるものだった。ルイ・ブラン(社会主義者の歴史家)をして、最も深遠な陰謀者、といわしめた男の指導の下で。その男とは、1776年にイルミナテイを創設したアダム・ヴァイスハウプトのことである。

イルミナテイが掲げた6つのゴール

イルミナテイ創設者、アダム・ヴァイスハウプトが掲げた革命的ゴールは、以下の6つである。

君主制、及びすべての秩序ある政府の廃止

私有財産の廃止

財産相続の廃止

愛国心の廃止

家族の廃止(つまり、結婚、すべての道徳、そして子供たちの共同教育の制度の廃止)

宗教の廃止

これは、後にカール・マルクスが著書『共産党宣言』で示した共産主義ゴールと酷似しているのだが、それは決して偶然などではない。

イルミナテイとフリーメーソン

アダム・ヴァイスハウプトの計画は、『文明がもたらしたすべてのものを破壊し、世界の構造そのものを変革させる』ことにあった。彼は、組織をより強大なものとするため、他のソサエティ等との統合を図っていった。イルミナテイ創設から2年経つか経たないうちに自身がメーソンのメンバーとなり、そこで非常に野心的であったメーソン上位メンバーのアドルフ・フライヘル・クニッゲと出会う。この二人の出会いにより、彼等の計画は、より強固なものへと発展していった、というわけなのだ。

ヴィルヘルムスバート城における会議

1782年、ドイツのヴィルヘルムスバート城で、人類史上最も重要であったと言っても過言ではない会議が開かれた。この会議で、バイエルンイルミナティによって最も組織化された計画が、他のメンバーたちへ明らかにされたのだった。その後イルミナテイ本部はフランクフルトへと移り、メンバーの数は膨れ上がっていった。アダム・ヴァイスハウプトの計画にとって、アドルフ・フライヘル・クニッゲの力を借りてすべてのフリーメーソンのロッジをイルミナティと結合させることは、必要不可欠なことであった。そして組織は、文明を破壊するために必要となる理論やシステムを変革させていったのだった。

フランス革命の本質

フランス革命以前、世界の歴史を通じて起こってきたひとつひとつの革命は、抑圧または政治的派閥によって引き起こされた自発的な動きとしてはっきりと認識することができる。彼らは、大衆の支持をある程度獲得していたので、人民の要求を満足させようと努力した運動であったのだ。しかし、フランス革命では、それ等の革命とは異なり、革命を悪用するために『不満の種』を作成する体系的な試み、と言えるものが実行に移されたのだった。それを如実に示す例を1つ示してみよう。それはフランス革命の初期段階で起こっていた。この歴史的な事件は、『大恐怖』と呼ばれた。フランス 革命 の 前夜、貴族たちが農地を燃やし人民たちを餓死させる計画を立てている、という、『飢饉企ての陰謀』の噂が至る所で流布された。そして『王の勅令』と名乗る馬に乗った緊急の使者らによって法令が伝えられると、フランスの町や村全体はほぼ同時にパニックに陥ったのだった。王の勅令は、平民らに『農地を焼き払うテロリストがやってくる』と告げるもので、王は自身の城以外のすべての城を焼き払うように命じた、という内容であった。人民は陰謀の噂によってすでに充分に動揺しており、ここで王からのメッセージを意図的に与えれば、法律に反する暴力を人民によって実行させることができる、と共謀者らは考えついたのだ。かくして、彼等の目的は達成された、ということなのだ。 つまり、『法と秩序に反する大衆の武装化』である。それこそが、1789年のフランス革命以降、常に社会革命の予定表の最初の項目を形成してきた‘からくり‘なのである。

マルクスとイルミナテイ

カール・マルクスは、『公正なる男たちの同盟』と名乗る謎のグループに、『共産党宣言』を書くよう雇われたのだった。暴徒にアピールするよう扇動的な内容の『共産党宣言』を。実際、『共産党宣言』は、マルクスの名前がこの革命ハンドブックの著者として広く知られる以前から、何年にもわたって広く知られていたのだ。バイエルンの『The Order of Illuminati イルミナティの秩序』の創設者であるアダム・ヴァイスハウプトによって70年前に定められた革命的な計画。カール・マルクスが行ったことはただ、それとまったく同じ原則を更新し成文化させただけだったのである。そして、この『公正なる男たちの同盟』なるものが、単にイルミナティの延長であった事実はその後の研究によって広く認められているのである。

マルクスニュー・ワールド・オーダー

更にマルクスは、こう書き記しているのだ。『1789年、ル・クレルとロアクスが主な代表者となるサークル・ソシエルと共に始まりバブーフの陰謀で終わった革命運動は、バブーフの友人であるフィリッポ・ブナローティが後にフランスに再導入させたことで共産主義思想を産み出したのだった。一貫して発展してきたこの思想こそが、ニュー・ワールド・オーダーの思想なのである。』と。

 

 

 

引用文献『世界革命 文明に対する陰謀』の著者ネスタ・ウェブスター

(2へ続く)

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