MKウルトラ・マインド・コントロール バーブラ・ストライザンドの場合 ④      ブライス・テイラー

 

ブライス・テイラー

そしてコンサートが進行する中、バーブラは聴衆にこう語りかけた。『時期尚早に、無分別かつ暴力的に命を絶たれてしまったすべての賢明で善良な人々、リンカーンガンジーキング牧師ケネディ大統領、アンワル・サダートー、そしてオロフ・パルメ氏たちを追悼し、このキャンドルに火を灯します。 平和と先見の明を持った人々は、世界が今、切実に必要としている、いわば父親像を代弁してくれています。私たちは誰しもが、恐怖と混乱に直面した時、指導力と知恵をもった`あの人`が今いてくれれば、と願うのです。これを、彼らに捧げます。』と。そして『あなたの魂が私の魂を照らすように、この揺らめくキャンドルの光が夜を照らしますように。』と歌った。私にはそれが、人々が殺されるのを長年にわたって見てきた、そのことを思い出させる断片のように聞こえていた。

次にバーブラは裏庭でのコンサートで『Papa パパ』を歌った。歌詞は『パパ、聞こえる?...空を見ると百万の目が見えるけれど、どれがパパなの?』である。

次はもちろん『追憶』で、その歌詞の内容は私たちの潜在意識を思い出させるものである。『 思い出が、心の片隅を照らす。ふたりのありのままの霧のかかった水彩の思い出。散らばった、ふたりが残した笑顔の写真。ありのままのふたりが交わした笑顔。あの頃はすべてがとても単純だった。それとも時間が経ってすべてが書き換えられてしまったのだろうか?もう一度すべてをやりなおすことができるだろうか。私たちにできるか教えて。思い出は美しいかもしれないけれど、思い出すのがあまりにも苦痛なら、私たちは忘れることを選ぶだけ。 だから憶えていることは、笑って想い出せる思い出ばかり。

コンサートの終わりに、バーブラ愛国心を探求した『アメリカ・ザ・ビューティフル』という曲を歌い、聴衆に一緒に歌おうと呼びかけた。

その頃、(当時は自分が関わっているなどとは顕在意識に無かったことなのだが)セラピストと私は、バーブラの精神状態を安定させバランスを保つよう役目を任せれられることが多かった。 セラピストは、バーブラ心理的状態に関すること、そして私は、マッサージ療法や指圧、極性療法などを行い、彼女の身体に関することを担当した。すべては、バーブラの体型と身体の調子を保つために行われたのだった。 彼女は非常に繊細だったので、実に多くのことを必要とした。

特にバーブラが恋愛関係が駄目になったり男友達との間に問題を抱えたりしている時、彼女のサポート役として私は頻繁に呼び出された。 キャリアの後半では、彼女は男性との性交渉すら困難になっていた。私は、自身の子供たちの世話が終わった後、またはお手伝いさんがいてくれる時、バーブラのところへ通うことになっていた。彼女は、夜を怖がり誰かを必要とした。私は、彼女の精神状態をなだめるために必要と思われることは何でもした。

彼女がとある場所に家を購入した後、私たちはよくビーチを歩いた。 その家は、通りからほんの数ブロックのところにあった。 これは非常に巧妙なやり方だった。何故なら、人が彼女をビーチで見かけたら、てっきり彼女がその家にいると思い込ませることが出来たからだ。しかし本当は、彼女はプライバシーを確保するために別の名前で購入した匿名の家に姿を消していた。それで、セラピストも私も誰にも気づかれずに彼女の元へ通うことが出来たのだった。彼女は、お手伝いさんに対してさえプライバシーを望んでいたので、セラピストと私に一緒にいるよう手配した。私は正門に行き、電話ボックスからお手伝いさんに暗号化されたメッセージを伝えるよう指示された。バーブラは通常その日の残りを友人と過ごすからと言って、お手伝いさんに暇を出した。その後セラピストと私が到着すると、私たちは彼女が『ハウスハウス』と呼んでいた場所に彼女を連れて行った。ある夜、私たちは緊急事態で呼び出された。セラピストと私が到着すると、バーブラは『ハウスハウス』の二階のクローゼットの中に隠れていた。 彼女は小さなボールのように縮こまり、髪を顔に垂れ下げて泣いていた。まるで怯えた子供のように。 彼女は頻繁に精神的にブレークダウンを起こした。本当にめちゃくちゃな状態だった。 彼女は私の膝の上に座り、私は彼女をあやし、彼女は私に人形たちを見せるのだった。私は彼女のためにボディトリートメントを頻繁に施術した。通常は週に1回以上、多い時は週5回ほど。そして、それは性交渉に終わることが殆どだった。

 

1973年のアメリカ映画『追憶』


(⑤続く)

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