ジョン・パーキンス氏 『エコノミック・ヒットマン』から20年  前編

2004年に出版されるや、7週連続NYタイムズベストセラーとなった『エコノミック・ヒットマン』。今回は、著者のパーキンス氏がTEDxTALKSなどで行った講演内容をダイジェストでお伝えしようと思う。彼の告発内容を深く理解することで、今回のウクライナ事変に繋がる線がよりくっきりと浮き上がってくるはずだ。パーキンス氏がエコノミック・ヒットマンとして暗躍した時代のグローバリストたちの手口、それはより巧妙になりこそすれ、現在も何一つとして変わってはいないのだから。Divine Light

 

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ジョン・パーキンス氏

私は、ある時はイランのパーレビ国王、そしてある時はインドネシアエクアドルパナマの大統領たち、またある時はサウジアラビアの王室のメンバーたちの前に立って彼等にこう言ったのです。『もしあなたが私たちのゲームの仲間に入るのなら、私はこの手に何百万ドルというお金をあなたや友人たちのために用意しています。しかし万が一仲間に入らないと決めるのなら、私のもう一つの手には銃が用意されています。』私の言い方はこれよりはもう少し外交的でしたが、彼等へのメッセージはつまりはそういうことでした。エコノミック・ヒットマン、それが私の職業でした。私たちエコノミック・ヒットマンは、新しい世界経済を生み出したといえます。つまり資本主義の一形態、私はそれを『略奪的資本主義』と呼んでいます。世界人口の5%にも満たないアメリカが世界の30%の資源を消費しているなど、皆さんが充分よくわかっているように、この形態は全くうまく機能していません。それでは、私がどのようにしてエコノミック・ヒットマンになったかを説明するところから話しを始めましょう。ビジネス・スクールにまだ在籍中だったころ、私はNSA国家安全保障局)の面接を受けたのです。彼らは、嘘発見器等一連の広範な心理テストを行いました。話しを省略しますが、私はまず『平和部隊』に参加させられることになったのです。アマゾンの熱帯雨林の奥深くに送られたのです。雪の多いニューハンプシャー州で育った私にとって、これに適応することはなかなか大変なことでした。この『平和部隊』から帰った後、私はボストンの国際的なコンサルティング会社に、エコノミストとして採用されたのです。この会社は、NSA国家安全保障局)やCIAと密接な関係がありました。私は、クローディン・マーティンという女性から訓練を受けたのですが、彼女の任務は私をエコノミック・ヒットマンに仕立てあげることでした。企業が切望する資源(石油等)を持つ国々に出かけて行き、世界銀行やその姉妹組織などから巨額な融資をその国々に手配するのです。しかし、その巨大な資金は実際にはその国の人々のためには使われません。それらは、巨大なインフラ・プロジェクトを構築するために、ベクテルやハリバートン、ブラウン&ルート等、おなじみのグローバル企業に流れるのです。彼らはその資金を使って、発電所や工業団地を建設していくわけです。それは、業界を所有する国内のごくごく少数の富豪たちに利益をもたらしますが、大多数の人民は貧困に苦しむことになります。そして国は、巨額の借金を抱えたまま返済不能に陥るのです。それこそが我々の狙いなわけです。私たちはその国々に戻って行ってこう言うのです。『借金を支払うことができないのなら、資源、石油、何でもいいからそれらを我々の企業に安く売ってください。それらを私有化すればいいのです。』と。『公益事業、学校、刑務所、保険制度、そのようなものすべてを私たちの企業に売りなさい。』と。国内に軍事基地を建設するとか、我々を支援する軍隊をイラクのような国々へ送るとか、または次の国連で電力会社や水道システムを民営化しそれを 米国または多国籍企業へ売り渡すよう投票するように、とか。これこそが、世界銀行IMF国際通貨基金)が機能する典型的な方法なのです。彼らは国に債務を負わせ、その負債は支払いが不可能なほどの巨額な債務であり、それは更に借り換えられ、国はもっと多くの利子を支払わなくてはならない羽目に陥る、というわけです。このようにして2重、3重、4重にも打撃を与え続けるのです。私のトレーナー、クローディンは、もしこれらの国々の指導者たちが申し出を拒否した場合、私(エコノミック・ヒットマン)のすぐ後ろには次の手を打つ者たちが控えている、と教えてくれました。彼女は彼等のことを『ジャッカル』と呼んでいました。つまり、実際に銃を持っていたのは私ではなく、この『ジャッカル』(暗殺隊)たちでした。私が最初に派遣された任務地は、インドネシアでした。その頃インドネシアは、100万人以上が犠牲となった恐ろしい内戦が終結されたばかりでした。私は若僧で全く訳が分かっていませんでしたが、とにかく私の任務は、非常に高額な電気システムを構築するようインドネシア政府を説得することでした。そして我々の企業を雇い入れることを実行させるためのレポートを作成する、ということだったのです。幸いなことに、独裁者であったスハルト大統領は、私が提案したプロジェクトを望んでいましたし、彼はCIAやペンタゴンによる保護も望んでいました。私はレポート作成がうまくいかず、つまづいてばかりいたのですが、そのたびに助っ人が現れました。決まって政府の役人たちが、全ての国々が大きく成長をとげるには間違いなく電気が必要である、という事実を示す信じられないほど良く出来たレポートを用意してくれるわけです。そして、ハーバード大学で訓練を受けた数学者たちが、この電気システムを構築するだけですべてがうまくいくことを証明する数式をまたたくまに仕立て上げていくのです。私は結局のところ、電力の必要性が年率19%という、前代未聞の予測を示したレポートを作成していました。そしてその結果、インドネシアは無事融資を受け入れ、我々企業はたんまりお金を稼ぎ、私はめでたくただのエコノミストからチーフ・エコノミストへと昇進した、というわけです。その頃、冷戦は勢いを増しており、ワシントンは、キューバが半球全体に共産主義を広めようとしていると信じていました。CIAは、ブラジル、アルゼンチン、チリなど大陸全体において右翼独裁政権を支援するために『コンドル作戦』と呼ばれるプログラムを展開させていきました。しかし民主的に選出されたエクアドルの大統領ハイメ・ロルドス氏やパナマ国家元首であるオマル・トリホス氏は、この『コンドル作戦』に強く反対していました。それで私は、彼らの方針を変えさせるべく彼等の元へ派遣されたのです。しかし彼等が方針を変換することはありませんでした。結果ロルドス氏は暗殺されてしまいました。私用の飛行機が墜落した時、多くの人々はそれが事故などではなかったと信じていました。重要な目撃者2人は、証言する前に自動車事故で亡くなりました。当時パナマ国家元首であったトリホス氏は、私にこう言いました。『もしCIAが私の盟友ハイメを暗殺したのなら、おそらく彼等が次に狙うのは私でしょう。』と。彼は、その言葉通りその後3か月経たないうちに亡くなったのです。(後編へ続く)

 

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エクアドルのハイメ・ロルドス大統領

 

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パナマのオマル・トリホス元首

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