急激な、ナチスのアメリカへの浸透           ダン・ウィリス氏のレポート

 

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2001年、ワシントンDCのナショナルプレスクラブにおいて最高機密の軍事証人の一人として証言台に立った
元ABC報道記者ダン・ウィリス氏


第2次世界大戦後の急激なナチス派のアメリカへの浸透、それは1955年にアイゼンハワー政権がナチス派に対して降伏へと追い込まれたことから本格的に始まったのです。それを目の当たりにしていた、アイゼンハワー大統領の元側近、スティーブン・ラブキン准将は、アイゼンハワーが企業複合体に対してコントロールを失ってしまった事実に気づいていた、といいます。1947年に起こった『ロズウェルUFO墜落事件』直後、この事件に対処すべく、トルーマン大統領は『マジェステイック12』という12名のメンバーからなるグループを構成させたのです。そしてその後、組織はネルソン・ロックフェラーによって運用全体が再構築されていきます。この再編成によって、米国政府は完全に情報の蚊帳の外に置かれてしまったのです。この時、『マジェステイック12』は、アレン・ダレスを筆頭にナチス派のアメリカへの浸透に貢献した人々によって固められてしまったからです。そして、それまでオハイオ州ライトパターソン空軍基地で行われていたすべてのリバースエンジニアリングに関する事業は、ネバダ州の『エリア51』へと移されたのです。アイゼンハワー大統領は、その経緯について調査しようとしたのですが、『エリア51』への立ち入りを拒否されてしまいます。それで自分が管理力を失ってしまったことに気づいたのです。アイゼンハワーは元陸軍元帥ですから、この拒絶に非常に腹を立てます。彼は、コロラドから軍隊を出動させ、『エリア51』に侵入するぞと脅したのです。その結果、2名の調査官が『エリア51』で実際何が起こっているかについて報告をすることが許可されたのです。そしてそれによって判明したことは、すでにE.T.由来またはナチスドイツのテクノロジーが使われ、それによって何機か円盤がリバースエンジニアリングされていた、という事実だったのです。

このような経緯が、1961年のかの有名なアイゼンハワー大統領の退任演説、そして政権を引き継いだケネデイ大統領の就任直後の演説へと繋がっていったのです。

 

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アイゼンハワー大統領

アイゼンハワー大統領 退任演説 (1961年1月17日)

政府の議会において、軍産複合体がそれを求めているかどうかにかかわらず、彼等による不当な影響力の取得を監視する必要があります。誤った勢力が破滅的に台頭する可能性が存在しており、それは存続し続けるでしょう。この複合体の圧力が私たちの自由や民主主義のプロセスを危険にさらすことを、決して許してはなりません。何一つとして、それが当たり前だなどとは考えてはならないのです。警戒心と見識のある市民のみが、我々の平和的な方法と目標を備えた巨大な産業および軍事防衛機構に対し、その適切なる噛み合わせを強いてとらせることができるのです。そうすれば、安全と自由が共に繁栄することとなるのです。

ケネデイ大統領 就任直後の演説  (1961年4月27日)

自由で開かれた社会において、『秘密』という言葉には嫌悪感を抱いてしまいます。 そして私たちは、秘密結社であるとか、秘密の誓いであるとか、秘密裡に事を進める等とする勢力に対し、本質的にも歴史的にも抵抗してきた人々です。私たちはずっと以前に、適切な事実が不当にも隠蔽されている危険性のほうが、その隠蔽を正当化させるために引き合いに出される危険性よりはるかに上回っていると判断したのです。今日においても、不適切な制限が模倣されており、閉鎖社会の脅威に屈服せずに対抗する、ということが尊重されることは殆どないのです。そして国家の存続の保証さえ、私たちの伝統が国家と共に存続しないのであれば、そこに殆ど意味などないのです。そして、公認される検閲と隠蔽の限界にまでその目的を拡大させようと切望する者たちによって安全保障を強化させる必要性が奪われてしまう、という、非常に重大な危険性が存在しています。 そのようなことを、私は、私の管理下の範囲内において、許可したりしないのです。

 

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