分割、そして征服               ジョーダン・セイザー

 

ジョーダン・セイザー

『分割して支配する』、または『分割して征服する』、という戦略は、自分たちの目的のために他人を操作しようとする人々やグループによって、古代から使用されてきた心理戦における戦術である。 政治、または軍事計画、企業の世界では、目標達成の邪魔になる人々が存在する場合、彼等がお互いに喧嘩で気を紛らわせている間に目標を達成し易くする、という考えがあるのだ。

分割統治戦略を実行するには、多くの汚れ作業やデータ収集が必要となる。 相手が誰なのか、そして彼らの鎖を解く最善の方法を知る必要があるからだ。 つまり、情報操作、 マインド・ゲーム、である。

ラテン語の『Divide et Impera』、つまり『分割と統治』、(古代ギリシャ語では『diaírei kài basíleue』)、というフレーズは、紀元前350年頃のマケドニア王フィリッポス 2 世による言葉である。 ジュリアス・シーザーナポレオン・ボナパルトなど歴史上の多くの王や統治者らは、敵軍に対し、この戦略のエッセンスを使用したことが知られている。

ローマ時代に遡ると、政府は封建カーストに対する権力を維持するために、この手法を頻繁に採用していたことがわかる。家臣間で形成された同盟が、王の統治に盾突くことのないように、家臣間の分裂はむしろ促進され奨励されていた、と言えるのだ。

中国春秋時代兵法書孫子』には、以下のように記されている。

---------軍隊を使う術とは、次のようなものである。敵の1に対してこちらが10であるなら、敵を包囲せよ。 敵の1に対して5であるなら、敵を攻撃せよ。 敵の1に対して2なら、敵を分割せよ。----------

つまり、兵法書孫子』は、特に人員や資源が不足している場合、完全な武力で敵を制圧するよりも敵同士を戦わせた方が有利である、とある。 ただ単に肉体を使って戦うのではなく、相手の心理に働きかけることで仕事が楽になることもある、と説いているのである。

では、現代ではどうか。実は、この『分割統治』戦略は、中東のイスラム勢力に対し、どの政策が最善かについて米軍に助言した『ランド研究所』の2008年の報告書の中で言及されている。 報告書は、こう述べている。

-----『分割と支配』は、さまざまなサラフィー・ジハード主義者グループ間の断層を利用し、グループを互いに敵対させ、内部紛争のエネルギーを分散させることに重点が置かれる。 この戦略は、秘密行動、情報作戦、非正規戦、先住民治安部隊への支援に大きく依存している。---------

これを『現代社会』対『影の政府』に当てはめてみると、権力者が自らの権力と支配を維持しさらに推進できるように、我々国民が内部抗争にエネルギーを費やし、互いに対立させられている多くの手法が見受けられるのだ。

私たちは、人種、宗教、性別、政党、信念体系、社会階級、地理的位置、その他さまざまな方法で分断を強いられている。 私たちは、これらの些細な違いに夢中になり、気を散らされてしまい、社会における本当の問題、政府、機関、裕福なエリートたちの悪と腐敗に焦点を当てることができないでいるのだ。 マスメディア(新聞、テレビ、ラジオ)やソーシャルメディアの出現は、集合意識に入り込む情報(または偽情報)の量を加速させるだけであり、私たちは二極化と分裂を続けているのだ。

社会を無力化させる分割統治の良い例としては、プロ・スポーツリーグが挙げられるであろう。 ひいきのチームの勝利を応援する人間によって、どれだけの時間とエネルギー(そしてお金)が無駄に費やされ、ライバルのチームやそのファンに対してどれだけの憎悪が注がれているだろうか? 私は何も、陸上競技プロスポーツが全て悪いと言っているのではない。もちろん社会において有益となることもある。しかし、このスポーツという壮大な気晴らしは、大昔のコロシアムの剣闘士以来、ソーシャルエンジニアにとってうまく機能してきたのだ。

もう一つ例を挙げよう。現在ニュースとなっている、イスラエルパレスチナ間の紛争である。 世界中がすぐさま『パレスチナ側だ!』、いや『イスラエル側だ!』とそれぞれの立場を主張し始めるのだ。 テロ攻撃は悲惨なものである。しかし同様に敵を根絶するために無実の民間人を不必要に傷つけることも悲惨なのである。 中東では、イスラエル人とパレスチナ人の間で数十年にわたり緊張が続いており、その間、正当な自衛と不当で非人道的な攻撃の両方が双方によって実行されてきた。 戦争屋たちは、対立と終わりのない戦争を支持している限り、我々がどちらを支持しようが構わないのである。

さらにもう一つの例は、人種間の分離である。『Black Lives Matter』、『Asian Lives Matter』そして『White Lives Matter』、である。表面的には『平等』を促進しているかのようだが、深く調べていくと、それらは人々の被害者意識を利用しているだけであり、私たちの分断をさらに進めているだけである事実が判る。

一つ、例を挙げてみよう。

21世紀に入って、ソーシャルエンジニアは社会の中にどれだけの分断があるのか(その多くは彼等自身の手によって引き起こされたものである)をよく知っているので、今ではこの『包含(インクルージョン)と平等』という考えを国民に押し付けるようになってきている。 それは一種の偽りの統一であり、個人の性格や技能ではなく人種、性別などに基づいて包含することを強制する、擬似的な統一である。 企業は、メリットではなく包含に基づいて雇用する場合、『より高い DEI グレード』を獲得することになる。  もちろん、人種、性別、宗教、国籍などを理由に人々を憎んだり排除したりしてはならないが、これらの側面に基づいて人々を強制的に包含することは、『反差別を装った差別』にすぎないのだ。

『黒人を雇えば、より多くの人が参加できるようになります!』とマネージャーは言う。 なるほど、しかしそれは少し人種差別的だと考えられないだろうか? 肌の色だけで選んでいる、ということにならないだろうか? 彼の性格や才能についてはどうなのか。

こうした『多様性』の実践は、人々がその実践に腹を立て、そのため人種差別主義者や性差別者と呼ばれるなど、さらなる分断を助長する方向に働くだけで、分離の歯車は空回りするだけである。

この地球上で私たちが直面している本当の問題を明らかにし、根絶したいのであれば、私たちは信念、人種、国籍などの違いは些細なことであることを見抜かなければならない。 これらの違いは尊重され、祝福されるべきことである。何故なら、それが私たちにお互いにコントラストを与え、個性を持たせるものだからである。 これらの違いがなければ、個性など存在し得ようもない。皆、同じように見ようとし、同じように考え、同じように行動する、同じ単調な人間の集まりになってしまうのだ。

結局のところ、ほとんどの人は(重度の人格障害のある人を除いて)心の底で、自身と他の人全員の平和と自由を望んでいる。 他の人間のグループとの誠意ある関係を通してのみ、私たちは社会を悩ませている高度な腐敗に立ち向かうことができるのだ。

憎しみと分裂が私たちを蝕む前に、お互いの間で物事を解決していけることを願うのみである。

※DEI グレードとは、Diversity, Equity, Inclusion の略で、ダイバーシティ(Diversity)とは、文化や環境の違いから生じる個人の経験、価値観、世界観の多様性を指す。 公平性(Equity)とは、すべての学生、教職員、スタッフに対する公正な待遇、アクセス、機会、昇進を保証するもの。インクルージョン(Inclusion)とは、あらゆる個人またはグループが歓迎され、尊敬され、サポートされ、評価されていると感じることができる環境を作り出す行為のこと。

 

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